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「最近楽しそうですね。特別な相手でもできたんですか?」
いつものようにデスクに向かい、いつものように書類に目を通す俺に、不意に松永が声をかけてきた。 「そう見えるか?」 「ええ、最近は夜遊びも控えられているようですし。何よりも仕事への不満が少なくなられた」 確かに、彼と出会ってからのこの一月ほど、その夜限りの女との営みが、すっかりなりを潜めていた。今更ながらに気付いた事だが、俺が女を相手にしていたのも、どうにも拭いきれない空虚感を、ほんの一時でも忘れたかったからなのだと、そんな事に本当に今更ながらに気付かされたんだ。 それでも埋める事ができなかったはずの心の隙間というものを、彼と会うようになってからは全くと言っていいほど感じる事がなくなり。 ただ彼と会って、お昼のほんの1時間ほどを共に過ごすだけで、自分でも信じられないくらいに満たされた気持ちになれた。 そしてそんな時間の存在は、これまでにないほど仕事への意欲を沸き起こし、日々の生活の中にでさえも潤いをもたらしてくれるような。そんな錯覚にも近い感覚すら抱かされる。 たった1人との何気ない出会いが、こんなにも自分の世界観を変えてくれるとは、一月前までの俺は想像すらしていなかった。 「特別な相手…か」 そこにある感情の意味は、今も掴みきれてはいないが、これまでは女と過ごしてきてそれなりに満たされていたはずの週末の時間が、彼に会えないというそれだけで、俺にとっては最も空虚に溢れた時間になっていたんだ。 松永の言葉がきっかけだったのかどうか、それ自体は定かではないが、彼の存在というものが自分の中で想像以上に大きなものになっているのだと思い知らされ。 そうなると、彼に会えない週末になると途端に、どうしようもなく会いたくなってしまう。 家族以外の人間関係においては、それほどの我慢を強いられた事のなかった俺は、そんな己の中に生まれた感情をコントロールできずに、その週末初めて、彼に会う為だけに行動を起こしていた。 自宅から車で20分ほどの会社に出向き、当然休日の今日、それでも数台の車が停まる地下駐車場へと乗り入れる。 そこに車を置き去りに俺が向かった先。いつもの公園と、ちょうど道路を挟んで真向かいに立つビルの1階にある、彼の家族が営む小さな花屋。 少し離れた場所から覗いた店内に、淡いグリーンのエプロンを着け忙しく動き回る姿を見つけ、自然と笑みが零れだした。 彼が俺に気付く事など当然なくて。こそこそと覗いているなんて、ストーカーみたいじゃないか…と、自分の変質者っぷりに自嘲が漏れる。 特に花屋などには用はないが、彼の傍に行きたいと、ただそれだけの理由で今まで自分で買い求めた事などない花を買ってみようかという気持ちになる。 俺が突然訪ねたら、やはり彼は驚くだろうか。その驚きに見開かれるであろう、瞳と表情を想像するだけで、胸に温かな風が吹き心を包み込んでくれる。 と、店に近づきかけた俺の足は、次の瞬間その動きを完全に止めていた。 俺の視界に飛び込んできたのは、もちろん俺に向けられたものではない、彼のキラキラと輝く笑顔。その笑顔が、店頭に立つ俺以外の人物に向けられたものなのだと理解した途端、内側から信じられないくらいにどす黒い感情が沸き起こる。 なんとも形容し難いその感情は、これまでに感じた事がないくらいに、苦々しく胸を締め付け。どうしようもない怒りの感情が突き上げてくる。 この謎めいた、意味もないくせに胸を締め付けられるような奇妙な感情に、なぜこんなにも心をかき乱されるのだろう。 「あ…浅葉さん…!?」 そして、彼の驚きに見開かれた瞳を目の前にした時、俺は店へと足を踏み入れ彼の腕を鷲掴んでいた事に初めて気がついたんだ。 俺の行動に驚いたのは、何も彼だけではないようで。彼が応対していた、おそらくは20代半ばであろうと思われる女性も、店内にいたスタッフと思われる2人の女性も、そこにいる全ての人物の視線が痛いくらいに俺に集められていた。 「どうしたの?あんたが店に来るなんて珍しいじゃん。それに、今日って休みの日じゃないの?」 すぐにいつもの笑顔を浮かべた彼が、何故か何もかもを見透かしているような気がして、そんなはずはないと思いながらも、どうにもバツが悪く慌てて掴んだ腕を解く。 「俺に何か用事?だったら少し待っててよ。今接客中なんだ」 いつもと変わらない笑顔を浮かべながらも、何故かひどく不機嫌にも思える彼の口調に、一瞬怯んだ俺は大人しくそれに従い、このまま店内にいるのも気まずくてそっと戸口を出た。 ただ立って待っているだけというのもなにやら居心地が悪くて、コートのポケットに突っ込んでいたタバコを取り出し火を付ける。別にそれ自体は悪い事をしているわけではないはずなのに、ジッポライターの立てるカチッというその物音ですら、やたらと大きく響いている気がして。 「何を緊張しているんだ俺は…」 自嘲を漏らしながら、ふぅ〜っと吐き出した白い煙が、ゆっくりと揺らめきながら天へと昇り。それを追うようにして見上げた空の青さに、自然と笑みが零れだす。 そういえば、こうして空を見上げる事も多くなったか。 彼は、俺と過ごす時間の中で、何度となく空を見上げては、真っ青な空に浮かぶ真っ白な雲が好きなのだと言った。 青空が好きだと言うのは耳にした事があっても、雲が好きだなんて、そうそう聞かないものだから、どうして雲なんだって聞いた俺に、やはり彼はキラキラと輝く笑顔でこう言ったんだ。 『形を変えるものって好きなんだ。そこからいろいろな想像の世界を広げられるだろ?これって決まった枠の中にはめ込まれてるわけじゃなくてさ、こ〜んなにも広い空の中、雲は自在にその形を変える。これが本当の自由なんだな〜…ってさ、そんな事を考えちゃうわけよ』 彼のその言葉に、今俺が実際に身を置く世界とは、まるで正反対に位置する世界を思い描かされ。改めて自分がいる場所の窮屈さを思い知らされた気分だった。 そして、彼のそんな言葉を聞かされたその日から、俺もつられるようにして空を見上げる事が多くなった。自分には叶わない自由の存在を、必死に伸ばした手で掴み取りたいと…そんな思いがあったのかもしれない。 「ポイ捨て禁止!ってか、人の店の前にそんなもん捨ててんなっての」 そんな事を考えながら、短くなったタバコを地面へと投げ捨てた時、ムスッとした不機嫌な声が耳に届き。 今まさに踏みつけようとしていた吸殻を、慌てて拾い上げる。 と、声同様不機嫌を露わにした表情の彼が、俺の手から吸殻を奪い取り、店の戸口付近に設置されてあった灰皿へと放り込んだ。 そこから微かに聞こえた、水に触れジュッ…と音を立て消えた火種の音。 「外で吸うなら、灰皿の位置くらい確認しろよな。だいたい、携帯灰皿も持ってないの?喫煙者の最低限のマナーだろ」 「あ、ああ…申し訳ない」 やはり不機嫌に言い放つ彼に、その怒りの意味するところがわからず、ただオロオロとする俺を、今度はどこか笑みを含んだ瞳が見据えてきて。 今の今まで怒っているかと思ったら、次の瞬間には笑みを浮かべる彼の表情に惹き込まれ、バカみたいに見つめてしまっていた自分に気がつき、やはり胸に湧き上がる形容し難い感情に慌てて視線を逸らした。 「で?何の用?」 「いや…花を買おうと…」 「休みの日に、わざわざここまで買いに来たの?それとも、誰かに贈るための花を、途中立ち寄って買いにでも来た?」 そう問いかけながらも、その言葉の端々には、やはり何もかもを見透かすような意味が浮かび上がっているような気がして。 「あ、ああ…そうだね。人に贈りたいから……」 「嘘つき」 <<to be continued…→next click>> 目次はTOPページ(←クリックでページジャンプ)にございますm(__)m COMMENT
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