それでも、1度では終わらなかった行為に疲れきっている身体は、指の1本だって動かすのが苦痛のようで。身動きひとつしないこいつの隣で、俺は手にした煙草に火をつけた。
それこそ余すところなく貪り、放った欲望の余韻は心地よく俺の心を満たし、こいつと抱き合った後のこの瞬間だけは、その全てを手にしたような満足感に包み込まれる。
一言の言葉を交わすことなく、ただ静寂に包まれるこの時間だけは、余計な感情に振り回される事なく、確かにここに存在するこいつの気配だけに意識が集中する。
咥えた煙草を指で挟み込み、吸い込んだ紫煙を吐き出すべく唇から離した時、不意にベッドの上に投げ出したままだった手に微かに触れてきた温もり。
チラリとその場所に視線を向ければ、まだどこかぼんやりとした眼差しのまま、真っ直ぐに俺の指先を見つめる瞳がそこにはあった。そして、何かを確かめるように、そっとそっと俺の手の甲をなぞるようにして触れてきた指先が、それでもすぐに握り込まれ。
「なんだよ」
この満たされた空間を、包み込まれる静寂を壊さないように、低く静かな声で問いかければ、僅かに肩を揺らしたこいつが小さく首を振り。結局握り込まれてしまった指先は、それ以上俺に触れてこようとはしない。
「明日も仕事なんだろ。早く寝ろよ」
「ん……」
俺の言葉に静かに瞼を閉じるこいつの顔が、月明かりに照らされた薄闇の部屋の中にぼんやりと浮かび上がり、うつ伏せたままの状態で眠りに落ちようとするその顔をしばらく無言のままで見つめていた。
疲れきったかのような表情。それでも、こいつも今この瞬間は満たされているはずだと、そう信じていたいのに。僅かに顰められているようにさえ見える眉間の皺の存在が、また意味のない怒りを駆り立てる。
それでも、今感じる……いや、確かにここにあるのだと自分に言い聞かせるかのような思いを否定したくなくて、俺は結局、いつだって目の前の現実から目を逸らそうとするんだ。
この気持ちが薄れてしまわないうちに、この余韻を壊してしまわないうちに、ちらつき始めた不安を認めてしまわないうちに目を閉じたくて。
見つめていた寝顔から視線を逸らし、手にした煙草をもみ消した俺もまた、こいつの隣に滑り込むようにして身体を横たえた。
微かに耳に届く、こいつの穏やかな寝息が心地よくて。腕の中に抱きしめて眠りたいと、そんな駆り立てられる欲求を抑え込むようにして瞳を閉じる。
訪れた闇の世界で、聞こえてくる静かな息遣いだけがやけにリアルで。疲れているはずの身体が、この余韻を味わったままで眠りにつきたいという望みが、それでもいつまでもこいつの存在を感じていたいという相反する欲求に阻まれ、なかなか望んだ眠りが訪れてくれない。
いつもそうだ。ドロドロに溶け合うほどに抱き合った後は、余計なことなど一切考えたくなどないのに。満たされてもすぐに渇きだす心が、その全てを阻む。
再び訪れ始めた虚無感を感じ始めたとき、不意に胸元へと寄せられた温もり。それが伸ばされたこいつの指先だと理解し、薄く開けた視界に入ったのは、俺の方へと向けようとはしない視線の存在。
その開かれているであろう瞳を、この位置からでは認識することができなかったが、薄暗い視界の中でも、微かに震える睫毛を確認することができて。
「新……」
そして、囁くようにして発された、俺の名を呼ぶこいつの声。
こういう時に俺の名を呼ぶこいつの声は、いつだって静かで。いつだって何かを堪えているかのような、小さな小さな声だから。
その事が余計に俺の中の不安を煽り、忘れかけていたはずの……いや、忘れていたいはずの感情を揺さぶるんだ。
静かに、そっと胸元へと置かれた手から伝わる温もりが、意味なく俺の感情を逆撫でし。
本当は、このままその手を握り締め、ただ感じる存在だけに意識を傾けて眠りたいのに。
「寝るんじゃねえのかよ」
「あ……ごめん、起こした?」
「別に。寝てねえし」
いつだって、こいつのそんな声に耐えられなくなるのは俺の方で。
結局こいつの手を握り返せないままに、口をついて出るのは、こんな突き放したような台詞だけ。
俺のそんな態度が、もしかしたらこいつの中に巣食う不安を煽っているのかもしれないのに。それはわかっているはずなのに、大切にしたいはずのこの存在を、どうして俺は傷つける事しかできないのだろう。
「寝れねえのかよ?まだ足りねえってか」
「バ…ッ!そんなんじゃない!」
放っておけば、どんどん陰に入り込む己の思考が疎ましくて。それを振り払うかのようにして、わざと微かな笑みを浮かべながら、その時になってようやく握り返す事ができた、こいつの手を少し強い力で引いた。
と、完全に油断をしていたのだろう。そんな僅かな力でさえも、されるがままに俺の胸元へと身体を乗り上げる状態になったこいつが、抗議の声をあげ。
月明かりだけの薄闇の中でさえも、はっきりと見て取れるくらい真っ赤に顔を染めたこいつが、ボフッと大げさな音を立てて俺の胸へとその顔を埋めてきた。
「そんなんじゃない……」
そして、もう一度同じ台詞を呟いたこいつが、不意に回してきた腕で俺の身体をぎゅっと抱きしめてきて。
「光流?」
まただ──…
またこいつが、本当は言いたいはずの言葉を飲み込んでしまったかのように感じて。
「言いたい事があんなら、はっきり言えってんだ」
イラッとする気持ちを何とか押さえ込みながら、半ばからかうような口調で言い募った俺を、上げた視線で見つめてきたこいつの表情は、俺が思っていたよりもずっと……穏やかなものだった。
「別に……特別何かを言いたいわけじゃない。ただ……」
「なんだよ」
「笑うなよ?……凄く……せだな…って…」
「は?」
そして、再び真っ赤に染まった顔を俺の胸へと埋めてきたこいつが発した、そのくぐもった声をはっきりと聞き取れなくて。
つい尖った声で聞き返した俺に、ぐりぐりと額を擦り付けてきたこいつが、相変わらず小さいけど、今度ははっきりと聞き取れる強さで言い募ったのは、俺が想像していたのとは真逆の言葉だった。
「新とさ、こうしていられるなんて……本当に3ヶ月前までの俺は、想像もしてなかった…って言うか、できなかったから。だから、凄く幸せだな…って…」
自分が想像していたのとは違う、「幸せ」だと言ったこいつの言葉が正直驚きで。
「そりゃさ、おまえは忙しいし、なかなか会えなかったりもするけど……でもやっぱり……」
それ以上は照れが邪魔をして続けられなかったのか、「黙ってんなよ。何も言われないと、それはそれで恥ずかしいだろ!」などと、顔を上げようとしないままに一人愚痴ったこいつがおかしかった。
「なかなか会えないって……何、おまえ寂しいんだ?」
「うるさいっ!そんなの…っ……当たり前…だろ…っ…」
悪態をつきながらも、それでもこの薄闇が饒舌にしているのか、今夜のこいつはいつにも増して素直すぎて。
相変わらずぐりぐりと額を擦り付けてくるこいつを、今度は俺の方から強く抱きしめ返した。
「バ…ッ!苦し……」
「おまえが悪い。煽ってきたのはそっちだろ?」
「な──…っ!?俺はそんなつもりで言ったんじゃないっっ!」
「だいたい、会えないのが寂しいってんなら──…」
「一緒に暮らせばいいだけじゃねえか」と……。
ジタバタと、抵抗にもならない弱々しい力で暴れるこいつを、更に力を込めながら抱きしめた俺が、言いたくて……でも結局声にする事のないままに飲み込んだ言葉。
「新…?」
不意に黙り込んだ俺を覗き込んできた、こいつの唇を少し強引に塞ぎながら、俺はその言葉を完全に飲み込んだ。
言ったところで、こいつの答えはわかってる。答えがわかっている提案をぶつけてみたところで、ますます苛立ちが募るだけだ。
結局は、こいつが頷かない限り、その苛立ちが消えない事はわかってる。それでも、今だけは──…こいつが幸せだと、そう言って笑った今の時間だけは、何も考えずに抱きしめていたいだなんて。俺の思考も、相当イカレちまってるよな。
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