際立った美しさというよりは、控えめなその雰囲気に思わず目を奪われたのは本当だった。
しかし、女に見惚れるのとはわけが違う。そこまでもの感情を持ってして見つめていなかった晴彦の思考は、十分な睡眠をとっていたはずにも関わらず、集中できない授業内容に眠気を訴え始め。気付いたときには眠りの中へと意識を引き込まれていた。
そして授業が終わったと同時に友人達に周りを囲まれ、集中砲火を受けるかのごとく浴びせられる質問に、半ばうんざりしながらも返す中、突然大きな音を立てて椅子から立ち上がった圭一が、こちらを見ることなく立ち去ろうとするところだった。
その音に反応し、思わず彼へと視線を集中させた自分達に、罰が悪そうに謝罪の言葉を口にして、それこそ逃げるように教室を出て行った後姿。
「あれって……」
「んぁ?鳴門?」
「鳴門って言うのか?」
「ああ、確か文学部だろ。いっつも隅っこで1人でいるけど…。今のはちょっと迫力あったな」
「普段大人しいヤツほど、キレると怖ぇって言うじゃん」
「キレてたの?何で?」
「さあ?」
その後姿を見つめながら、周りに向けた晴彦の問いかけに、友人達が口々に好き勝手な事を言い始める。
彼らにとっては日常の会話に過ぎなかった今の流れで、圭一の機嫌を損ねるような事実に思い当たらなかったのだ。圭一の態度で何か怒っていたのかもしれないと思いはしたものの、その原因が全くわからない彼らにとっては、それは当然の疑問と言えるだろう。
「ハル〜おまえ、何かしたんじゃねえの?」
「俺!?何で俺なんだよ」
「知〜らね。でも、なんか怒ってたよな?」
「おまえらが傍で騒ぐからだろ!」
「俺ら?俺らそんなうるさかったか〜?」
「気にする事ないんじゃん?どうせ関わりのないヤツだし」
「でもさ、ああいう根暗なタイプって、何でキレるかわかんなくね?」
「ある日突然、後ろからブスッ!ってか?」
「「「怖ぇぇえええっ!!」」」
好き勝手な想像で騒ぎ出す友人達を横目に、晴彦は1人押し黙ったままで圭一が出て行ったばかりの扉を見つめていた。
怒っていた?だとしたら、友人達が言うように何故なのだろうと。確かにこれまでだって全く関わりを持ってなかった圭一に対して、そこまで気にするような事ではないのかもしれないが。それでも気になって仕方がなかったのだ。
ほんの僅かではあったが、最初に会話を交わした時に感じた、圭一のどこか恥ずかしそうに俯かれた横顔から感じ取った穏やかな雰囲気と、さっき教室を出て行った時に感じた圭一の雰囲気が、あまりにも正反対なものだったから。
もし、自分が何か不快感を与えてしまったのだとしたら、その理由を知りたいと思ってしまった。
「悪ぃ!先行ってて」
「え?おい!」
「ハル〜?どこ行くんだよ〜?」
追いかけて何を言おうというのか。もし本当に怒っているのだとしたら、話しかけたところで答えてはもらえないかもしれない。そんな思いはよぎったものの、感じた疑問をそのままにするのは何故か気持ちが悪かった。
とにかく追いかけよう。そう思い立ち教室を飛び出した晴彦の後ろから、面食らった様子の友人達が声をかけてきたけど、すでに走り出していた晴彦の耳には、その声は届いていなかった。
教室を飛び出してそのまま校舎をも飛び出す。と、目の前に広がった中庭の風景の中、ちょうど向かいに位置する校舎の中へと消えていこうとする背中を見つけた。
「見つけた」と言わんばかりにその背中へと一直線に駆け寄り、なんの躊躇いもなくその背中に呼びかける。が、自分に掛けられた声と気付かない様子で歩みを進める圭一は、当然立ち止まる気配を見せず。
「おいってば!」
「──…っ!?な…に……え?」
半分怒鳴るようにして掛けた声と共に、伸ばした手でその腕を引っ張る。と、突然の事に驚いた様子の彼が、引っ張られるままに振り返り、そこに貼り付けられた表情は驚きに染められていた。
「なんか、ごめん」
「え?」
追いかけてはきたものの、圭一に掛ける言葉までもを考えていなかった晴彦が、振り返ったその驚愕に染められた表情を前に一瞬の逡巡を見せる。それを不思議そうに見つめてくる瞳。それに気まずさを感じ、とにかく考えるよりも先に口をついて出たのは、そんな謝罪の言葉だった。
そんな晴彦の突然の言葉に、ますます驚きに見開かれる、大きな黒縁の眼鏡の奥の同じく大きな瞳。見つめてくるその瞳に、一瞬吸い込まれそうな錯覚を覚えながらも、なんとか気持ちを立て直した晴彦が、再び謝罪の言葉を繰り返しガバッと頭をさげた。
「いや…俺らうるさかったかなって。不愉快な思いさせたんだったらごめんな」
「え、え?ちょ…待って。何、急に……」
「だって、なんか怒ってるみたいだったから」
突然腕を掴まれ引き止められ、その驚愕に思考がついて行ききらないうちに、これまた突然下げられた頭。その展開についていけず、面食らったままでどもり出した圭一を、伺うようにして見つめてきた視線が、次の瞬間ニカッと笑顔を浮かべる。
悪いことをしたと謝っているはずの晴彦の、全く相反したその笑顔の存在に、だからこそ余計自分が抱えていた彼にとっては理不尽とも言える憤りの感情が後ろめたくて。
キョロキョロと視線を彷徨わす圭一の目の前に、また突然にゅっと大きな手が差し出された。
「その様子だと、別に怒ってるわけじゃなさそうだな。俺、経済の西宮 晴彦っての。よろしくな、鳴門〜…えっと、名前なんての?」
どうして晴彦が、自分の名前を知っているのだろう。突然追いかけてきていきなり頭を下げたかと思ったら、圭一の返答も待たずに自己完結をして、どうして手を差し出してきて自己紹介など始めるのだろう。
あまりに急な展開に、面食らったまま差し出された手を取れないまま戸惑い続ける圭一に痺れを切らしたのか、半ば強引に圭一の手を取り握ってきた晴彦が、やはりニカッと人好きのする笑顔を浮かべたままで自己紹介を促してきた。
「文学部の、鳴門なにくん?」
「えっと……圭一です…」
「圭一……ケイちゃんか。よろしくな」
それは、それまで全く面識のなかった2人の距離が、あっという間に縮められた瞬間だった。
その時の晴彦が何を思っていたのか、そしてその行動についていけず、面食らったままで急激に距離を縮められた圭一が、それを拒否する暇もまたその理由も見出せないままに。
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