久しぶりに向かい合わせてとった食事に、腹も心も満たされ、缶ビール片手にリビングのソファで寛ぎながら煙草を1本取り出す。
手にしたジッポライターで咥えた煙草に火をつけ、その紫煙を吐き出しながら、ふと思い出したようにキッチンの中で食事の後片付けをしている圭一を振り返った。
「坊やを愛川のところに送っていったのか?」
圭一の職種からも、普段あまりお互いの仕事の事について話したり聞き出したりという事をしない2人だが、今夜ばかりは些か事情が違った。
圭一が担当している人気若手俳優が、実は晴彦の会社の部下の知り合いで。しかもその2人が、どうやらただならぬ関係らしいと知ったのは今日の事。
その人気若手俳優である一ノ瀬 新(いちのせ あらた)が、晴彦の部下である愛川 光流(あいかわ ひかる)を訪ねて今朝会社へと姿を見せた。若い女性層に絶大な人気を誇る俳優が現れたとあっては、それこそ公になれば社内の女子社員がパニックに陥る事は目に見えていた。
圭一からの事前連絡をもらい、先回りして彼を会議室に導いた事が幸いして、騒ぎは回避できたものの、その関係性を知らなかった晴彦にとっては、それこそ寝耳に水、鳩が豆鉄砲をくらった心境だったのだ。
「うん。なんかあったんだろうなって思ってたけど、これでようやく安心できそうだ。ごめんね、迷惑かけちゃって」
「いや、別にそれはいいんだけどよ。しっかしな〜…あの愛川がね〜…」
光流はそれこそ新入社員の頃から晴彦が目を掛けてきた存在で。際立って目立つ人柄ではなかったが、仕事に対する実直な姿勢に好感の持てる青年だった。
新人の頃から、当時はフロント業務についていた彼は客受けもよく、その客に対する接し方からも、営業に転向すれば必ず花開くはずだと、昨年の夏の人事異動の際、晴彦本人が強く推薦し自分の下に引っ張ってきたのだ。
晴彦の見込み通り、営業に転向してからの光流の成績の伸び方は、目ざましいものだった。今や、営業所内のみならず、全営業所比較してみてもトップに位置する成績を叩き出している。
しかし、本人にその自覚は薄いらしく、あくまでもマイペースに楽しみながら仕事をこなしていく光流の姿勢は、日ごろ酒の席を共にする友人という立場からして見ても、そして上司という目線で見ても、やはり好感を持てるものだった。
仕事仲間に対しても客に対しても、一貫して人好きのされる性格は変わらず。そんな光流の事を、純粋に部下として友人として可愛いと思っていたのだが。そんな光流が、実は恋愛で悩み事を抱えているらしいと知ったのは、それこそ本当につい最近の事で。
いつものように飲みに行った席で、あまり自分の色恋沙汰に関して話そうとしない光流が、ほんの少しとは言え珍しく話し始めたのだ。その様子が本当に辛そうで、深く追求はしなかったものの気にはなっていただけに、今日の出来事はある意味ではショッキングなものだった。
別に、光流の相手が同性であるという事に対しては、自分の立場を見てみても偏見など持てる立場ではないし、それ自体は晴彦にとっては大した問題ではないのだが。相手があの一ノ瀬 新で、しかも自分の恋人の担当俳優だったとくれば、「世間は狭いな〜」程度で済まされる驚きではないわけで。
「おまえ、愛川の事知ってるなんて、一言も言わないんだもんな」
結局は、なんだかんだと言ってはみても、晴彦が一番引っかかっていたのはそこの部分なのだ。
もちろん、圭一の立場上、簡単に俳優のプライベートを口に出せない事などわかっている。それを理解しないわけではないのだが、それでも自分もよく知っている相手がそこに絡んでいて、光流が晴彦の部下である事も、もちろん圭一は知っている。
これまでにだって、光流の事は何度も圭一に話して聞かせてきたが、その話の中で1度として、圭一は光流を知っている素振りを見せなかった。
圭一の立場は理解している。それでも全く話してもらえなかった事に、自分は信用されていないのかと、多少なりとも落ち込んでしまっていたのも事実だった。
「あ……黙ってた事怒ってる…よね?ごめんね、晴彦の事を信用してないわけじゃないんだ。でも……」
もちろん、その事に対して圭一を責めるつもりはなかったのだが、晴彦のほんの少し不機嫌な……いや、不貞腐れた態度を察したのか、丁度後片付けを終えた圭一が慌ててリビングへと出てきた。
仕事中は、営業と言う職種柄からか、感情を抑える仮面を付けなれている晴彦なのだが、元来ストレートに感情が表情に表れるその性格は、仕事を離れプライベートな時間に入った途端、綺麗さっぱりその仮面は剥がれ落ち跡形もなくなってしまう。
そして、付き合いの長い圭一には特に、どれだけ気をつけていてもその感情の起伏を見抜かれてしまうのだ。
今夜も例外ではなく、つい抱いてしまった拗ねた感情を見事に見破られてしまい、「やっぱ敵わね〜な〜」と苦笑しかけたその時、次に圭一が発した言葉に、晴彦の顔に浮かびかけた笑顔がなりを潜めてしまった。
「俺も確信があったわけじゃなかったし。それに普通の色恋ってわけじゃないから……晴彦が聞いても不愉快な思いするだけだと思って」
「不愉快?なんだそりゃ?」
「あ……別に深い意味があるわけじゃないんだ。気にしないで」
圭一にしてみれば、自分が黙っていた事で晴彦に嫌な思いをさせてしまったのだろうと、それに対する謝罪の気持ちから出た言葉だったのだが、どうやらまた地雷を踏んでしまったらしいと、微かに潜められた眉から瞬時にそれを察知した。
これ以上この話を続けるのは得策ではないと、慌てて台所へと戻ろうとする圭一の手を、一瞬早く晴彦の伸ばされた手が掴み止める。
「それは、芸能人と一般人の恋愛だからって事か?」
「晴彦……痛い…」
「それとも、同性愛だって意味でか?」
そして発された、晴彦の言葉で場に静寂が訪れた。その沈黙が、そのまま圭一の心の内を語っている事は明白で、その事が余計に晴彦の気持ちを苛立たせる。
「俺は元々ノンケだから、だからおまえの気持ちなんてどうせわかんねえってか」
「誰もそんな事…っ!」
「昔、おまえ言ってたよな。それはまだまだ有効だって事だ」
「晴彦…っ!」
「おまえは、あの時もう大丈夫だって言った。でも、本音は違ったって事か?まだまだ俺は、信用されてなかったって事か?俺がおまえと付き合ってきたこの8年で、結局おまえの中で俺は信用されきってないって事か?」
「違……っ…」
「冗談じゃねえぞ。俺を何だと思ってやがる」
就職して営業という職種に就いてから、感情を抑える意味ではそれなりに成長してきたはずの晴彦だが、元来持ち合わせた実直で単純な性格が根本から変わるはずもなく。一度その中の地雷を踏んでしまえば、簡単に爆発させられてしまう。
滅多な事では圭一に対して怒りの感情を向ける事などないのだが、事2人の関係に対しての圭一の抱く想いに対しては敏感だった。
だからこそ、大切にしてきたのに。だからこそ、些細な事で不安を抱いてしまうであろう圭一の心を、一番大切にしてきたつもりだったのに。
「おまえさ、わかってる?その一言で、この8年間を否定されたような気分だよ俺は」
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