小峯の部屋から電車に乗り継いで30分の場所に位置する会社に着いたのは、いつも出社するよりも20分ほど早い時間だった。
「気持ち悪い…」
「しっかりしろよな」
就業までの時間を、3階の喫煙所に篭ってコーヒーを飲みながら過ごす中、ただでさえ二日酔いでムカムカする胸に、鼻腔をつく小峯が咥える煙草の香りが少しばかり気分の悪さを増長させて。
「ダメ…俺下に行ってる」
「しっかりしろよな」
「おっ!早いね〜」
座っていた長椅子から立ち上がり、部屋を出ようとした俺の行く手を阻むようにして入ってきたのは、今日も朝から元気な笑顔を浮かべた西宮さんだった。
「おはようございます…」
「はよ〜っす」
「おはよう。…ってか、愛川〜大丈夫か〜?」
「すみません…」
挨拶を交わし、心配そうに声を掛けてくれた西宮さんに苦笑で返せば、同じく苦笑しながらもポンポンと肩を叩いてくれる。
「たいして飲んでもいねえのに、見事潰れてたからな」
くすくすと笑いながら、小峯同様に咥えた煙草に火をつけた西宮さんが、次の瞬間零した言葉に、一瞬耳を疑い凍り付いてしまった。
「まあアレだな…そういう時もあるよ。またいつでも聞くからさ、あんま溜め込むなよ」
「……へ…?」
「何、もしかして何も覚えてねえとか?」
いつでも聞くって、何を?俺は一体、何の話をしたんだ?
「お…俺…何言いました?」
「何って…え?マジで覚えてねえの?散々、俺達の事が羨ましいって絡んできたくせに」
「え…え?羨ましいって……」
「え〜っと…まあ、気にすんな」
気まずそうに、会話を逸らそうとしてくる西宮さんの、その態度が一番気になるんですけど〜〜!?!?
「こ…小峯…?」
慌てて、煙草の紫煙を吐き出しながら何も言おうとしない小峯に視線を向ければ、こっちもどこか気まずそうな笑みを浮かべていて。
「たいしたこっちゃねえよ」
って…だぁ〜かぁ〜らぁ〜っ!すげえ意味深な言い方をしないでくれ〜〜〜っ!!
酔っ払って正体を失くした俺が、2人が羨ましいなんて言って絡み話す内容なんて、今は明らかにあいつの事しかないわけで。
「マ…マジかよ…」
何をどこまで話してしまったんだろう……。洗いざらいしゃべってしまったのだとしたら、もうこれは、笑うに笑えないんですけど……。
「まあ、男だしな…身体だけの関係ってのを、全部否定なんてできないし」
「ぅえ……?」
「おまえもおまえだけど、相手も相当だな」
少し言いにくそうに言葉を発した西宮さんに、なんとも情けない声で返せば、今度はどこか怒りを含んだ小峯の声が耳に届き。
「お…俺…相手の事、何か言ってました?」
まさか…相手が男で、しかもあの一ノ瀬新だなんて…間違っても言ってないよな?それ言っちゃったら、さすがにヤバイぞ!へこむどころの騒ぎじゃないぞ、俺っ!!
「名前までは…なあ、小峯」
「まあ…聞かなくてもわかるけど」
「えええええっ!?」
「何?小峯、相手の事知ってんの?」
半分以上パニックに陥ってる俺に、言った張本人の小峯はどこまでも涼しい顔で。
「直接知ってるわけじゃないですけど、1回会ったし」
「ふぅ〜ん」
ま…間違いない……きっと、小峯が言ってるのは新の事だ…。
どうしようどうしよう…これって、めちゃくちゃヤバイ状況じゃないか!?
あわあわと、慌てる俺をよそに、もっと驚いて嫌悪感を示してもいいはずの小峯は、妙に淡々とした様子を崩さなくて。西宮さんも、それ以上相手については突っ込んでこようとはしない。
これは……これ以上何も言わずに、黙秘権を使ったほうが賢いよな?なんて、あまりその必要性も感じないんだけど。
「でもさ、おまえは相手が自分の気持ちに気付いてくれようとしないって、そう言ってたけど」
「え?」
「それを伝えようと思った事はあんのか?」
そして、黙り込んでしまった俺に不意にかけられた、西宮さんの問いかけ。
「言わなくても伝わるなんて、そんなの嘘だぞ。言わなきゃ伝わらないんだよ。相手の事が好きだったら、関係を変えたいと思うなら、ちゃんとそれは言葉にしないとな」
「西宮さん、昨日も同じ事言ってたじゃないっすか」
「んぁ?だってよ〜、こいつ覚えてないみたいだし」
くすくすと笑みを零す小峯に、同じように笑みを浮かべながら答えた西宮さんの、たった今俺に向けられたその言葉は、考えてみたらすごく当たり前の事なのに。
それは俺にだってわかっている事で。
「おまえはさ、言ってしまって壊れるのが怖いって言ってたけど、最初から壊れてるようなもんじゃん。どっちにしたって、いつまでも続く事じゃないって、自分でもそう言ってたろ」
「俺…そんな事…?」
「マジで覚えてないよ、こいつ…っと、ごめん」
呆れたように苦笑を浮かべた西宮さんが、その時鳴り響いた着信音に、俺達に向かって軽く手を掲げてみせる。
「もしもし…ケイ、どうした?」
どうやら愛しのケイさんからと思われる、西宮さんが受けたその電話をきっかけに、部屋の中には沈黙が流れ。煙草を咥えたままで、じっと見つめてくる小峯の視線に耐えられず俯いた俺の頭を、無言のままでポンポンと叩いてくれたその手は、昨日と同じように温かかった。
「小峯…」
「んな、情けない顔すんなっての」
「は?いなくなったって?いや…だからって…」
見上げる俺に、小峯が少し困ったような苦笑を浮かべた時、電話で話していた西宮さんが小さく声を上げ。
「おたくの坊やがいなくなったからって、何でこっちに……」
思わず向けた俺達の視線に気付いた西宮さんが、謝るような仕草で片手を顔を前に翳しながら、部屋を出ようと扉に手をかける。
「え?愛川?」
そして、そのまま部屋を出て行こうとした西宮さんの動きが一瞬止まり、何故か発された俺の名前。
「愛川って…うちの愛川光流?」
「俺?」
「ちょ…待てよ。どういう事?え…?」
振り返った西宮さんの表情に困惑が浮かび、何事かと視線を向ける俺に、半ば呆然としたままのその手から、何故か手渡された携帯電話。
「え?」
「変わってくれって」
「お、俺!?だ…だって、これってケイさんなんじゃあ…」
『光流くん!?』
状況が把握できず、受け取り切れない携帯電話。
そこから聞こえてきた、叫ぶように俺の名前を呼ぶその声に、今度こそ俺の思考は凍り付いてしまっていた。
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