「って…客だったらどうすんだっての」
営業という職業柄、客からかかってくる電話だって多いのだ。
勇気がないなどと、そんな見当違いの不安を抱き、それが客からの連絡かもしれないという可能性がある以上……いや、そちらの可能性の方が高いのだから、このまま無視などできるはずもなかった。
「───…っ!?」
ぐちゃぐちゃと考える己の思考に、思わず自嘲が漏れ、ようやく取り出し開いたディスプレイ。
そこに表示された着信記録を見れば、それは待ち焦がれながらも怯え続けた新からのもので。
『また電話する』
続いて開いた受信ボックス。そこにあったのは、変わらず素っ気無いあいつからのメッセージ。
会うのは怖いのに。会ったときに宣告されるであろう言葉を思えば、怖くてたまらないのに。それでも、あいつらしい単語の羅列に、それだけで恋しいその顔が脳裏に浮かんでくる。
声が聞きたい──…触れたい──…。
たった1日会わなかっただけなのに、あいつの存在に触れたこの瞬間、どうしようもなくあいつに会いたいと思ってしまうんだ。
とは言え、こうしてメールを送ってくるんだ。もう仕事の現場に入ってしまっているかもしれない。
メールの返信さえしておけば、また時間ができたときにでも連絡を入れてくれるかもしれない。なんて、そんな期待を抱いてしまえば、結局は傷つくだけかもしれないのに。
それでもいい……やっぱり俺は、おまえからの連絡を待っていたいのだと、そう気付いてしまったから。
「や〜ん!もうめちゃくちゃショック〜」
「あんた、知らなかったの?」
「だって〜、朝テレビ見てる余裕なんてないんですもん!」
「まあでも、結局相手は有名人だからね。ショックを受けたところで、どっちにしてもあんたのもんにはなりゃしないんだから」
「わかってますよ!でも、夢見るくらいいいじゃないですか〜。あ〜でもなあ…結婚ってなると、完全に夢絶たれた気分」
「あの一ノ瀬新を相手に、そんな夢見られるあんたが、ある意味凄いわ」
返信メッセージを打ち込みかけたその瞬間、フロントから戻ってきた女子社員の会話が耳に入り。
噂好きの彼女達が、今度は何の話題で盛り上がっているのだろうと、興味はないながらも耳に入ってしまうその会話に苦笑を漏らした時、聞こえてきた名前に心臓がドクンと跳ねた。
一ノ瀬新って……結婚って……何…?
朝の出勤前、俺はあえてテレビをつけないようにしている。
さすがのあいつだって、そう毎日話題になる事などないと、それをわかっていても、何かの拍子に聞こえてきてしまうであろうスキャンダルは、決して知りたいものではなかったから。
だから俺には、彼女達が今話している内容がわからない。
わからないけど……その内容からは知りたくない事実が窺えてしまい、その瞬間に耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。
例えそれが真実ではないとしても、それでも聞こえてくるであろうその話は、どうしたって俺の聞きたいものであるはずもなく。
「でも、相手が上条茜だったら、なんかしょうがないな〜って思えちゃうから悔しいんですよね〜」
上条茜と、その名前にまたビクリと震える。
あの時、小峯が言ってた。一昨日、俺の前で女と歩いていた新が、連れていた女の名前……確か、上条茜って……。
「女は好きだね〜」
その時、背後から掛けられた、まるで独り言のような呟き。
「こ……みね…?」
「客が置いてった週刊誌」
「え?」
「彼女、一ノ瀬のファンらしいぞ。まあ、朝のワイドショーでもやたら騒がれてたけどな」
「そう…なんだ……」
「おまえ、聞いてないの?」
「なんで俺が…?」
「だって……」
その問いかけの意味はわかってた。あの日、俺を送ってくれた小峯は、新と顔を合わせているから、俺と新が顔見知りだって事は知ってる。
そして、深夜の時間帯にああして自宅を訪ねてくるのだから、ただの顔見知り程度の付き合いじゃないって事くらいわかってるはずだ。
「まあいいや、俺は興味ねえし」
それでも、俺が小峯のそんな問いかけに答えられるはずもなく。
もちろん、知っていたとしても、それを口には出さなかっただろうが、今の俺はそうやって隠すような事実ですら持ち合わせていない。
「それよりさ、おまえ顔色すげえ悪いぞ。昨日からずっと、死にそうな顔してる」
「……え?」
「そんな顔で客んとこ行って、驚かれなかったのかよ」
「そう…かな?いつもと変わらないけど」
「ちゃんと飯食えよ〜。それでなくても、最近病的に細いぞ」
わざと何でもない事のように、半分からかうような口調で言ってきた、それが小峯の気遣いだって事が伝わってきて。
「ごめん……」
いつものように、俺も冗談半分に返せればよかったのに。
どうしてもいつものように笑えなくて、俯きながら言ったその声は、ちょっと情けないくらい震えてた。
でも、小峯がそれ以上を突っ込んでくることはなくて。ただくしゃくしゃと、俯く俺の頭を撫で回してくれたその手が、泣きたいくらいに温かかった。
そうして、自分の目でその週刊誌の記事を見たわけではないのに、それでも聞こえてきた会話だけで、ただでさえ壊れてしまいそうな心が悲鳴を上げ。
返そうと思っていたメッセージは、結局送る勇気を持てないまま、握り締めた携帯をしまい込んでいた。
だって……やっぱり、あいつの口から聞かされる言葉が、どんなにプラスに考えようと頑張ってみても、最悪の結末しか思い浮かばないんだ。
それをやり過ごせるほど、俺はまだ覚悟できていないんだ。
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