予定が大幅にずれ込んで、結局スタジオを出たのは夕方になる頃だった。
この後は、映画の打ち合わせがあると言ったなるちゃんに促され、乗り込んだ車の中。身を包む心地のいい気だるさに、後部座席へと身を沈めれば、アクセルを踏み込む直前に振り返ったなるちゃんの表情が、妙に嬉しそうで。
「新くん、今日はすごく調子がよかったみたいだね」
「そう?」
「うん、新くんはNGも少なかったしさ。これも光流くんパワーかな?」
「なにそれ」
くすくすと笑みを零す俺に、なるちゃんも同じようにして笑みを浮かべる。
こういった言葉の端々に、ひょっとしたらなるちゃんは、全部気付いているのかもしれないと思う事はあった。
それでも、多くを聞き出そうとはしてこないなるちゃんの優しさを、今回だけじゃなくて、俺はこの8年近くで十分に感じ取っていた。
そりが合わないと、短いサイクルでマネージャーが変わる事だって少なくはないこの世界で、8年近くも俺に付き合ってくれているなるちゃんの事は、本当に信頼していたし大好きだったけど。それでも、やっぱり光流との関係をはっきりと口に出して言ってしまうのは躊躇われた。
関係も何も、結局俺達の間には、どれだけ身体を繋げようとも、親友という関係以外にはなかったわけで。だいたい、セックスはしているけど親友ですなんて、そんな事をいえるはずもない。
年の割には純情ななるちゃんが、俺達のそんな関係を知って、嫌悪感を抱かないとは限らない。むしろ、軽蔑されたって文句は言えないもんな。
「今日さ、何時ごろあがれそう?」
「ん〜…あとは打ち合わせだけだから、それさえ終われば……何か予定ある?あ、今日も光流くんのところに送った方がいいのかな?」
「………いや、それはいいや。今日は家に帰る」
「そう?とりあえず車出すね」
少し考えた後に首を横に振った俺に、小首を傾げながらも頷いてくれたなるちゃんが、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
走り出した車の、心地いい揺れに身を預けながら、そっと瞳を閉じれば、やはり浮かんでくるのは光流の笑顔で。もしかしたら、本当にあの笑顔を、もう1度この手に取り戻せるかもしれないと思えば、本当に久々に胸が高鳴った。
1分でも1秒でも早く、あいつのあの笑顔を見たいと望むなら、焦らすような事をせずに、メールででもすぐに連絡を入れりゃいいと、自分でもそう思うけど。
「それじゃあ面白くねえもんな」
ポツリと、自分にもやっと届くような声で呟いた俺は、そのまま広がる笑みを殺しきれない。
あいつは今、俺の事を考えてる。仕事中だからって、全てを忘れてしまえるほど器用な奴じゃないって事くらい、この10年の付き合いの中で知り尽くしているさ。
仕事に集中していたって、どこか頭の片隅には、俺の存在があるはずだ。それを思えば心が満たされた。
全ての仕事を終え、自分のマンションに戻ったのは、結局夜の10時を過ぎた頃だった。
1人で暮らすには広すぎる2LDKのこの部屋も、去年の夏まではほとんど使われる事がなかったのだが、ここ半年くらいは真面目に帰っているのだから……それは笑うに笑えない。
高校を卒業してすぐに1人暮らしを始め、ここに越してきてもう8年になろうというのに、この半年でようやく、僅かとはいえ生活感が出始めたというのだから、どれほど俺が光流の家に入り浸っていたのかがわかってしまう。
まだ大学生だった頃、いっそのこと一緒に暮らしちまうかと冗談めかして言った俺に、「生活リズムが違うから嫌だ」と、あいつはあっさりと言ってのけたんだ。
それでも、結局はオフのほとんどの時間をあいつの部屋で過ごし、生活用品だって持ち込んでいたのだから、実質的には一緒に暮らしているのと大差はなかったが。
そんな俺に、「自分の部屋に帰れよな!おまえがいたら、女の子も連れ込めないだろ!」と、いつかあいつは言っていたが。俺があいつの部屋に入り浸っていたのは、もちろん一緒にいて居心地がよかったというのが一番大きな理由だが、それに加えて、そんなあいつの行動を制限しようって目論みだってあったんだ。
それが、ただの友達というには行き過ぎた独占欲だと、あの頃の俺にはそれすらもわかっていなかった。ただ、誰かと抱き合っているあいつの姿を想像する事だけは許せなかった。
そんな自分の感情が恋なのだと、どうして気付かなかったのだろうと。今になって思えば不思議でたまらないが、それでもやはり、俺にとって恋愛の対象となるべきは、いつだって女だったんだ。
愚鈍すぎる俺が、自分の気持ちを自覚したのは、あいつを初めてこの腕に抱き締めたあの日。内側から突き上げてくる、どうしようもない欲望の存在に、正直愕然とした。
でも、自覚した途端、俺の想いは握り潰されたも同然だったんだ──…。
もちろん、学生の頃のあいつには、一応彼女と呼べる存在だっていたし、俺にしてもそれは同じだった。自慢じゃないが、俺はそれこそ中学の時から、抱く女に不自由した事がない。
それなりに付き合った女だっていたし、あいつへの気持ちを自覚してからだって、全く女を抱かなかったわけじゃない。あいつをこの腕に抱き締められないからと言って、全然違う女を抱いたところで、心が満たされる事などなかったが。それでも、身体の欲望だけは吐き出せた。
今までこの腕に抱いた女を思い出してみても、あいつに会ってからの俺は、どこかあいつの面影を感じさせる女ばかりを抱いていたような気がするが。
ただ目が似ているだけ…唇が似ているだけ……そんな理由で。その中でも、自分でした事ながらも驚いたのが、声が似ているというそれだけの理由で、男を抱いた事もあった。
あいつにそっくりな声をしたその男が、一体どんな声で啼くのか。そいつが漏らす吐息に、喘ぎに、俺は間違いなく光流を重ねていた。
自分から仕掛けなくとも、相手に不自由などした事がないこの俺が、一番手に入れたい存在を手に入れられないだなんて、自分でもおかしくて笑えてきたが。
手を伸ばせば触れられる、抱き締められる事ができる距離にいながら。実際にこの腕に抱きながらも、触れられないあいつの心を前に、いつも俺はあいつに似た温もりで自分を慰めていた。
今をときめく人気俳優だなんて、自分でいうのも滑稽な気がするが。その俺が、一番手に入れたい存在を手に入れられず、みっともなく足掻く姿は、自分でも見ていられなかったな。
「光流……」
唇にその名を乗せれば、ただそれだけの事で胸を締め付けられる。
本当は、誰よりも手に入れたかったんだよ。本当は、誰よりも大切にしたいんだ。
なあ、光流。今、おまえの中に俺はいるだろう?
今日1日で、どれだけ俺の事を考えた?
不器用なおまえが、あんな事があった後で、普通でいられるわけないもんな。
もっと──…もっと、おまえの中が俺でいっぱいになればいい。俺だけの事しか考えられなくなればいい。
そうしたら、迎えに行ってやるよ。迎えに行ったが最後、もう逃げられないと思えよ。
ずっと手に入れたかったその存在を、1度手にしたが最後、何があったって離してやる気なんてねえんだ。
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