その背中を視線で追いながら、同じようにして靴を脱ぎ部屋に上がった俺は、声を掛ける事がないままに、リビングと隣り合わせの寝室へと向かう。
窮屈なスーツを脱ぎ捨てながら、ここ最近ではすっかりクセづいてしまっているため息をひとつ。
「何で──…」
あいつはここにいるんだろう?今夜はもう来ないと思っていたのに。
だいたい、一緒にいた彼女はどうしたってんだ?
そんな答えの出ない疑問がグルグルと巡る中、リビングから聞こえてきたテレビの音に、ようやく詰めていた息をひっそりと吐き出した。
あいつが何を考えているのかがわからないなんて、それこそ今更だ。
学生の時は、何一つ口に出して言わなくとも、あいつが考えている事が手に取るようにわかったのに。あいつへと傾く気持ちを自覚した途端、それまで見えていたはずのものが何ひとつとして見えなくなってしまった。
それは全て、あいつの零す言葉のひとつひとつに、俺がびくついてしまっている事が大きな原因だという事はわかっていたが。
クローゼットの中から取り出したハンガーに、脱いだばかりのスーツを掛け、部屋着を取り出そうと屈めた腰は、しかし伸ばすはずの手の動きが不意に阻まれ落とす事が叶わず。
掴まれた手首から走る、鈍い痛み。それに顔を顰めながら視線を向けた先。
自分が想像するよりも間近に、整いすぎて…だからこそゾッとするような冷たい表情があった。
「あ…らた…?」
無言のままで見下ろしてくる視線の鋭さに、そこから感じ取れる威圧感に震え、その手を振り払う行動のひとつも取れずに固まる俺は、次の瞬間投げ飛ばされるようにしてベッドの上に転がっていた。
「い…っつ──…っ!あ…新…?」
「1人で歩けなくなるくらい飲んでんじゃねえよ」
背筋が震えるほどに冷たい声。
同時に覆いかぶさってきたこいつが、乱暴な仕草でまだ着たままだった俺のカッターシャツへと手を伸ばしてきて。そのまま荒々しい手つきで掴まれ、左右に引き裂かれる。
ビリッと布が裂ける音とともに、弾けとんだボタンが四方へと散らばり。
「…っな!?あら…った…っ…!!」
これまでに感じた事がない恐怖に、逃げるようにシーツを掻く俺の足は、覆いかぶさったままの新の両膝に挟まれ、難なく封じ込められてしまった。
「酒臭ぇ……」
チッと、聞こえてきた舌打ち。ただそれだけで、言い知れない恐怖に支配される俺は、僅かな身じろぎですらもできなくなってしまう。
「あいつ家に上げて?そんで何する気だった?」
「……何…言って…」
「俺に抱かれるうちに、もう男じゃなきゃ満足できなくなっちまったってか?」
「バカな…っ!あいつは、小峯はただ送ってくれただけで!」
「ふぅ〜ん、小峯ってんだ?支えてもらわなきゃなんねえほど、酔い潰れてるようには見えねえけど?」
「そ…っれは…っ!」
おまえの姿を見たその瞬間に、それまでぐるんぐるんと回っていたはずの世界が戻ったのだなどと、そんな事を言えるはずもなく。
俺の顎を掴み、動きを封じたままで見下ろしてくる視線は、心が凍り付いてしまいそうなほどに冷たかった。
そこからは何の感情も読み取れなくて、その事がただ切ない。
「酔ったふりして男連れ込もうってか?とんだ淫乱だな」
「バカにするなっ!誰が男なんか…っ!!」
おまえじゃなきゃ、誰が好き好んで男になど抱かれるものか!
そう叫びだしそうになる声を、必死の思いで抑え込む。
それを言ったところで、何の説得力などあろうはずもない。実際、こいつに抱かれ始めた頃の俺に、恋愛感情などというものはなかったのだから。
それを考えれば、俺は好きじゃなくても男に抱かれる事ができる、新の言うとおり淫乱な奴なのかもしれない。
それ以前に、そんな告白じみた真似……間違ったってできるはずがないんだ。
それを口に出して言ってしまったが最後、きっとこいつは俺の前からいなくなってしまう。
こんなにもひどい言葉を投げつけられてもなお、こんなにも蔑むように冷たい視線を向けられてもなお、こいつに縋り付こうとする己の浅ましい心に吐き気がする。
「へぇ〜、男なんか…ねえ?じゃあ何か?俺は女か?おまえを抱く俺は、男じゃないってか?」
楽しんでいるかのようにも聞こえる声。それでも見つめたその瞳には笑みの欠片すら浮かんではいなかった。
ただただ、氷のように冷たい──…何の感情も映し出さない瞳。
こいつは、一体いつから俺の事をこんな目で見るようになったのだろう?
少なくとも、俺が自分の想いを自覚し始めた、この夏まではこうじゃなかった。
俺が、新を好きだという自分の想いに気付くまでは、身体の関係を続けながらも、俺達の間にあった親友という関係は変わらずこの手の中にあったはずだ。
不意に仕掛けられた、息つく間もないほどに激しい愛撫を受けながら、ぼんやりとそんな事を考えていた俺は、途端にこの身を襲う恐怖に、ガチガチと震えだしていた。
それは、今日あの場所で、女と一緒に歩いていた新を見たときに感じた恐怖と同じもので。
まるで俺に見せ付けるように、タイミングを見計らったかのように現れたこいつが、一体何を考えていたのか。
それを思うだけで、震えだした身体を恐怖の感情だけが包み込む。後から後から噴出す冷たい汗が、喉元に競りあがってくる大きな塊が渦を巻き、吐き気すら覚える。
「あ…あ…」
「光流?」
ガチガチと震えだした俺に、それまで噛み付くような愛撫を仕掛けていた新の動きが止まり。覗き込んでくる瞳は、それでもそこに映る冷たい影は変わらずそこにあった。
「何演技してんの?」
そして投げつけられた、鋭い切っ先を持つ言葉。
「怖がるふりして…こっちはちゃんと反応してんじゃねえかよ」
「…っひ!あ、あ…」
ニヤリと…今日会って、初めて見せたその笑みは、俺の中に巣食った恐怖を煽るには十分の材料だった。
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