一般的な仕事始めから2週間ほどがたとうとしている今の時期、まだまだ新年会ムードは覚めやらず、駅前の繁華街は飲みに繰り出そうというサラリーマンの姿で溢れている。
「みんな仕事しろよな〜」
自分達の事は棚に上げ、そんなスーツ姿の彼らを見て笑いながらそう言い募る小峯に笑って返し、何気なく道行く人々へと視線を向けた俺は、次の瞬間凍りついたようにその場から動けなくなっていた。
「光流?」
そう声をかけてくれた小峯にも答えられず、呆然とただ一点を見つめる俺の視線の先──…。
「どうした?知り合い?」
キョトンとした様子で、俺の隣に並び辺りを見回す小峯に、ようやくなんでもないとそれだけを答え、先に進んでしまった同僚の波に戻ろうとした俺の目の前に、まるで立ちはだかるようにして立った人影。
「邪魔」
その薄い唇から発された、低い声にビクリと身体が震えた。
「あ──…」
黒いニット帽を目深に被り、同じく真っ黒なサングラスをかけているのは、聞かなくともそれが変装だということなどわかっていた。だからこそ、呼びかけた名前を飲み込むしかなかったんだけど。
俺が、一言だって言葉を紡ぎ出せなかった理由はそれだけじゃなくて。
「だぁれ?知り合い〜?」
同じく、大きめのマフラーで口元までもを覆い隠し、伊達だろうと思われる眼鏡を掛ける彼女もまた、おそらくは業界の人間なのだろう。
目の前の彼の腕に、親しげに腕を絡ませ、甘えを含んだ声でそう問いかける。
「知らない。知ってるわけねえじゃん」
「だよね〜」
まるで、突き放すかのような冷たい声色。
「どけよ、邪魔」
何も言えずに立ち尽くす俺の肩を、再び口にした台詞と共に押しのける。
トン……と、1歩後ずさった俺の肩を支えてくれた小峯が、去っていくその後姿に何か文句を言おうとするのを制し……その時の俺の頭の中は真っ黒に色塗られていた。
そりゃそうだよな…こんな一般人、知り合いだなんてあいつが言うわけない。
ましてや、一緒に連れ立って歩いていた相手が、同じ業界の人間であるのなら余計に、人目は避けたいだろうし。
それでも、あの唇から発せられた「知らない」というたった一言が、俺の胸を深い場所まで抉り出す。
「なんだよあれ……ってかさ、アレって一ノ瀬 新と上条 茜じゃねえの?」
面白くなさそうに、でもどこか興味深々にも聞こえる声で呟いた小峯に、一瞬ビクリと肩が震える。
「おまえ、本当に知り合いじゃねえの?」
「ま…さか…。そんな有名人の知り合いなんていないし…だいたい、そうそう有名人に会うかよ」
「そっか、そうだよな〜…ってか、マジ感じ悪いな。気にすんな光流!ああいう輩なんて、ゴロゴロしてんだから」
それほど疑問を感じる事なく、あっさりと納得してくれた小峯にホッと胸を撫で下ろしながらも、今目の前に突きつけられた現実へのショックから、どうしても立ち上がれずにいた。
新が他の女と一緒にいたって、それは何の不思議もない。俺とあいつは付き合っているわけでもなんでもなくて……。だいたい、あいつが女を切らした事がないという事だって、わかりきっていた事だ。
今をときめく人気若手俳優は、その人気からか、週刊誌を賑わす事だってこれまでにも何度もあった。知りたくなくたって、そんな情報はいくらでも耳に飛び込んできてた。
だから、今の事だって別にショックを受けるようなことではないはずだ。
わかっているのに。そんな事はわかっていた事なのに、こうして目の前に突きつけられると、どうしたって苦しいと…痛いと心が悲鳴を上げる。
俺じゃない誰かと、ああして腕を絡ませて歩くあいつの姿を見ると、ただでさえズタズタに切り裂かれている心が、その傷口から大量の血を吹き上げ、その血だまりに溺れてしまいそうになる。
だって、初めてだったんだ──…。
これまでに週刊誌やらワイドショーやらで、知りたくもない新のスキャンダルを耳にし目にしてきたけど、それだって、わかってはいても納得なんてできない自分の気持ちには気付いていたから、極力避けて通ってきた。
それなのに、こうして現実目の前に突きつけられてしまうなんて。
こうして、新が他の女と一緒にいるところを見るのは初めてだったから、どうしていいのかがわからないんだ。
どうして新が、今この場所にいたのか。どうして俺の目の前に立っていたのか。
考えたってその答えなどわかるはずもなくて。
心の中で投げかけるそんな疑問に答えてくれる声だって、当然あるはずもなくて。
ここが俺の会社の近くだって事は、新ただってわかっているはずだ。そして、今夜は飲みに行くと言った俺が、この場所にいる事だって簡単に予想できたはずだ。
それなのに、まるで見せ付けるようにこの場所に女といた新──…。
そこまでを考えて、俺は背筋に悪寒にも似た震えが走るのを感じていた。
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