「よ〜し!ちゃっちゃとタイムカードを押せ〜店閉めるぞ〜」
時計の針が5時半を告げたと同時に、今日の幹事の1人でもある西宮さんが声を張り上げ。皆一様にタイムカードへと足を向ける。
こういった時の、営業だとかフロントだとかメカニックだとか、そんな垣根を全て取っ払った団結力には、思わず苦笑が漏れる。
勤務中は、それこそ仕事の回し方だとかで、それぞれにぶつかる事が多かったりするけど、仕事を離れてしまえばそこそこに仲のいいこの営業所は、そういう意味ではすごく居心地がよかった。
「西宮さん張り切ってんなあ」
落ち着いた頃にタイムカードを押そうと、まだデスクから立ち上がらないままの俺の背後から、そう声をかけてきたのは、フロント業務についていた頃から親しく付き合っていた、同期入社の小峯だった。
今は俺が営業に転向してしまい、小峯は相変わらずフロント業務と、職種こそ変わってしまったけど、変わらず気の合うこいつとは、仕事を離れて2人で飲みに行く事も多くて。
「何も、あの人が幹事をする事もねえのにな」
「順番に並べよ〜」なんて、まるで幼稚園児を整列させるかのように声をかけている西宮さんの姿を視界に納めながら、呆れた口調でそれでも楽しそうに言い募る小峯も、俺同様に西宮さんを慕っている社員の1人だ。
確かに、小峯の言うように、こういった飲み会の幹事は普通、新入社員に任せるものなのだが。どうも祭りごととなると血が騒ぐらしい西宮さんは、幹事となった新入社員と共に動き回っている。
一応上司である彼が、そういった企画進行に進んで参加をすれば、それに携わる社員から不満の声があがってもよさそうなものだが。そこは西宮さんの人徳のなせる業なのか、何の違和感もなく溶け込んでしまっているのだから、やっぱり凄い人だよなあと、感心せざるを得ない。
「そこ〜、なぁにくっちゃべってんだ〜?ちゃっちゃとしねえと置いてくぞ〜」
「わ〜っ!行きます行きます!置いていかないでくださいよ〜」
未だ動こうとしない俺達に、目ざとく声をかけてきた西宮さんが、冗談混じりにそんな事を言えば、小峯も冗談混じりにそれを返す。
それにクスクスと笑みを零しながら、小峯と揃ってタイムカードを押しに向かえば、すでに宴会モードに突入している西宮さんからバシンと背中に手痛い1発。
「飲むぞ飲むぞ〜。明日の仕事なんて知った事か!」
「いやいやいや、それはまずいでしょう」
「あ〜ん!?小峯、てめえ!俺の酌じゃあ飲めねえってか!」
「そんなん言ってないじゃないっすか。あ、でも酌してくれるんっすか?そりゃあ旨い酒になりそうだな〜」
「バァ〜カ!てめえがもてなせ!」
「どうせホスト役するなら、可愛い女の子の相手がいいです〜」
タイムカードを押す手前で、ああでもないこうでもないと言い合う2人の姿は、これまた就いている業務は違うものの、いつもの見慣れた風景で。
それぞれにノリがいいこの2人は、俺とはまた違う意味で気が合うみたいだ。
「お先に〜…」
そんな2人の間を縫って、先にタイムカードを押した俺の首根っこが不意に掴まれ。
「自分は関係ありませんみたいな顔してんなよ、愛川〜。今日のホスト役はおまえで決定だ」
「ええ〜!?俺は1人チビチビ飲む酒が好きなんっすよ〜」
「よっく言うぜ!いっつも真っ先に酔っ払って絡むくせによ〜」
西宮さんの指名に愚痴を零せば、すかさず小峯が突っ込んでくる。
仕事を終えた後のこんな掛け合いが、今の俺にとっては一番楽しく心安らぐ時間だった。
こうしている時間は、ほんの僅かな時間とはいえ新の事を考えずにすむから。
ここは、完全に俺が作り出し、そして与えられている空間で。その中の誰1人として、俺の存在を無視するものなどいない。
俺は確かにここにいて、確かな存在を持って人と関わりあえているのだと、それを実感する事ができるから。
それは、新と過ごす時間の中では、どんなに望んでも得られない空間だった──…。
「愛川?」
「光流、どうした?」
不意に黙り込んでしまった俺を、訝しむようにして覗き込んできた4つの瞳。
ハッと我に返った俺は、曖昧な笑みを浮かべながら自分のデスクへと向かい、椅子に立てかけてあった鞄を手に取る。
考えずにすむと言いながら、結局はこうして新の事を考えている。そんな自分に、最早自嘲の笑みすら浮かんでこない。
「ひ〜っかる!マジでどうした?」
「え…?」
「顔色よくねえぞ。今日は止めとくか?」
心配そうに掛けられる声には無言で首を振り。気を取り直すように大きくひとつ伸びをした。
「大丈夫。飲むぞ!今日はとことん飲んでやる!」
「お〜い…どうでもいいけど、またおまえをおぶって帰るのは嫌だぞ〜。最近特に酒癖悪いんだもんよ」
「その時は頼むな、小峯!」
「ゲ〜ッ!開き直りやがった!」
そうだよ…考えない。あいつがいない時間まで、あいつに思考を埋め尽くされてたまるか。
あいつが全てになってしまったら、それこそ俺は立っていられなくなるじゃないか。あいつにとってはそうじゃないのに、俺ばかりが求めているなんて……いくらなんでも空しすぎるじゃないか。
「いいね、いいね〜。実にいい心がけだよ愛川くん」
それまで、小峯と同じように心配そうな眼差しを向けてくれていた西宮さんが、上機嫌にそう言うと俺の肩に腕を回してきて。
そんななんでもない触れ合いの中に、泣きたいくらいの温もりを感じていた俺の心は、本当はもう後戻りがきかないところまで追い詰められていたんだと思う。
『今夜行く』
という、たった2つの単語の羅列に…それを断ってしまった自分に。悪い事をしたわけでもないのに、たったそれだけの事が気になって、いつまでも頭を離れない俺は、今更改めて考えるまでもないほどに、思考の全てを新に支配されてしまっているんだ。
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