2年間のフロント業務を経て、夏から営業畑へと身を置いていた。
「お疲れ!今日2件目とったって?やっぱり俺の目に狂いはなかったな」
客の下に出向き、新車の正式契約を済ませ社に戻った俺に、満面の笑みでもって近づいてきたのは、営業マネージャーである西宮(にしみや)さんだった。
「お疲れ様です。運がよかっただけですよ」
「またまたぁ、謙遜すんなって。おまえはフロントの時から客受け良かったし、絶対営業向きだと思ってたんだ」
ニコニコと、上機嫌に言い放つ西宮さんは、俺より4年先輩で、若干29歳にしてマネージャー2年目という強者だ。
今はほぼ第一線を退いている立場ではあるが、管理職はただ責任ばかりが増えていくだけで面白くないと、飲みに連れて行ってもらう都度愚痴っている。
俺が入社した頃は、まだ営業の一般だった西宮さんには、何故かフロント業務と職種が違っていたにも関わらず可愛がってもらっていて。この3年間で、一緒に飲みに連れて行ってもらった回数はすでに数え切れない。
その西宮さんが、夏の人事異動の際、どうしても俺を営業に欲しいと推してくれたらしく。異動3日前にして知らされたその発表に、正直呆然としてしまった。
特にフロントにこだわっていたわけではなかったが、自分が西宮さんが言うような営業向きの人間だとはとても思えなかったんだ。
それでも、いざやり始めてみると、自分でも驚くほどに成績は右肩あがり。よもや、自分にこんな隠れた才能があったなどとは夢にも思わず。
こうして目に見える結果として目の前に突き付けられれば、当然仕事にもやりがいなんてのも感じてしまう。
今では、営業に推してくれた西宮さんに感謝しながら、営業という仕事をすっかり楽しんでいた。
「そういや今日の新年会、当然出席だよな?」
「え?ああ、はい」
「よ〜しよし。2次会3次会と、中抜けは許さねえからな」
まるで幼い子供にするように、俺の頭をぐりぐりと撫でつけ、今度はたった今外回りから帰ってきた営業マンの元へと向かってしまった。
その後姿を見送りながら、自分のデスクへと向かった俺は、たった今契約を取り交わしてきた書類を鞄の中から取り出し、そのまま店長の下へと報告に向かう。そして、一通りの報告を終えた後、ようやく自分のデスクへと腰を降ろし、タイミングを見計らったかのように振動を告げる携帯電話をスーツの内ポケットから取り出した。
『今夜行く』
開いたディスプレイに表示された、たったそれだけの短い文章。いや、こんなたった2つの単語の羅列、お粗末過ぎて文章だなんてとても言えないよな。
『ごめん、今日は新年会』
それだけを打ち込み返信したメールには、当然だけどそれ以上の反応など返ってはこなくて。知らず漏れ出すため息。
いつもそうだ。俺の予定などはお構いなしに、時間ができそうな時にだけこうして連絡を寄越し、やる事をやってすっきりしたらさっさと帰っていく。
特にここ数ヶ月は、実際に顔を合わせてもただセックスをするだけで、俺達の間に普通の友人同士のような何気ない会話などなくなってきていたし、こうしたメールひとつにしても、ただ用件を伝えるだけの短い単語の羅列だけに留まっている。
まあ、女同士のメールのやりとりでもあるまいし、学生時代から俺と新の間でマメに連絡を取り合う習慣なんてなかったんだけど。
それでも、突然降って湧いたように自分の気持ちを自覚してしまった俺にとって、ただやるためだけのこうした内容のメールは、やはり胸を掻き毟られるような切なさに襲われる……なんて、いつから俺はこんなにも女々しくなってしまったんだろう。
こんな、不毛としか言い様のない関係を、わかっていながらも必死に縋り付いているのは、別に強制されているわけでもなく、ただ自分の意思だというのに。
どこにも持って行きようのない、そんな自分の気持ちを持て余すばかりの苛立ちを、新に向けたところで仕方がないことなどわかっているのに。
それが辛いと言うのなら、自らこんな関係には終止符を打つべきなんだ。
「愛川、どうしたボーっとして」
何を見つめるでもなく、ただぼんやりとそんな事を考えていた俺の背後から、不意に声がかけられ。
「あ…すみません」
「いや、体調でも悪いのかと思って」
振り返ったそこに立っていたのは、さっき声をかけてくれた西宮さんで。
慌てて取り繕うようにデスクの上の書類の束を手にした俺に、心配そうな視線が投げかけられる。
「体調はすこぶるいいですよ。新規の契約も取れたし」
「それならいいが、あまり無理はするなよ。最近顔色悪いことが多いぞ」
「そうですか?おかしいなあ、健康だけが取り柄なんっすけどね」
「確かに、おまえからそれを取ったら、何も残らねえな」
「ひっで〜」
冗談交じりの会話に返しながら、「これだけちゃっちゃと終わらせちゃいますね」と手にした書類を掲げた俺に、「あまり無理はするなよ」と声を掛けてくれた西宮さんに笑顔で返す。
そうだよ、今は余計な事を考えている時じゃない。
「仕事、仕事」
まるで自分に言い聞かせるように呟いた俺は、新からのメールによって沈み込んでいた気持ちを立て直すように、デスクの上に広げた書類へと視線を落とした。
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