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inside monopoly act.1
貧しい家に生まれ育ち、幼い頃から両親の度重なる虐待に耐え続けた主人公が、運命的な出会いを果たした相手と恋に落ちていく。しかし、ようやく幸せをこの手に掴みかけたその時、彼女を襲う病魔の影。
そんな中でも、逞しく自分の運命と闘う彼女を、常に傍で見守り支え続ける恋人と、余命いくばくもないとされながらも結婚し、新しい命をも授かる。しかし、彼女の中に巣食う病魔が消えたわけではなかった。
今にも消え行きそうな命の灯火を前に、ようやく得た幸せな家庭で家族と共に穏やかな時間を過ごす彼女が、その命をかけて訴えかけるのは、どんな逆境にあろうとも消してはならない希望という名の道標。今や薄れかけている、家族という存在の絆の強さ。
明日への希望を見出せない若者達へ、家族と言う尊い絆を忘れかけている人々へ、人との絆を軽んじる人々へ。今や社会的な問題として取り上げられている「繋がり」というキーワードがふんだんに盛り込まれた、ある意味ではありがちなこの作品は、数年前に書籍化されベストセラーとなった小説が原作となったものだった。
それが、来春の映画で公開されることが決まったのが、およそ3ヶ月前の事。主人公の恋人役のオファーを受けた俺は、この春から撮影が始まったその仕事で、まさに忙殺される日々を送っていた。

当然、仕事はこれだけではなく、前回のクールを終えてから今クールのドラマの仕事は入っていないものの、役者の傍ら少なからずモデルの仕事も継続して行う俺は、雑誌の撮影やらショーの出演やら、とにかく毎日が忙しない。
世間ではいまだに『人気若手俳優』などという称号をもらってはいるものの、今の自分の人気は、けして一時だけのものではないという確信があった。
もちろん、こんな世界だ。明日にはどうなっているか、先行きの不透明さは拭えないが、それをも蹴り飛ばしてしまえるくらい、俺は常に上を目指し走ってきたという自負がある。
そこにはもちろん、『カッコつけている俺が好きだ』と言った、あの日のあいつの言葉が大きな理由としてそこにあった事は否定できないが。この俺が誰かの背中を見て走るだなんて冗談じゃない。一度手にしたトップへの切符を、そう易々と手放すつもりは毛頭なかった。

中学生の頃からこの業界に身を置き、モデルから役者に転身してからもう7年。年齢的にもキャリア的にも、そろそろ若手というには難しい頃合になってきたかという自覚があった。
そんな事を言えば、それこそモデル時代から俺についてくれている優秀なマネージャー殿からは、「まだまだ若造のくせに、何言ってんのさ。新くんなんて、ま〜だ全然ひよっこだよ」なんて、まるで冗談でも言うような口調でからかわれてしまうのだが。
一応、この業界においては、俺のほうがなるちゃんより先輩なんだぞ……なんて、そんな言葉を言ったところで、「はいはい」と軽くあしらわれる事は目に見えている。
俺よりも4歳年上の彼は、知り合った当初から、どうも俺を子供扱い…というか、弟扱いしてきて、それは8年たった今でも変わる事はないらしい。

「疲れた?」

撮影の合間の休憩時間。普段なら共演者やスタッフと共に過ごすことが多いのだが、このところの忙しさから疲れがピークに達していた俺は、1人楽屋へと戻っていた。
用意された個室で、何をするでもなく転がった俺が、何気なく取り出した携帯電話へと視線を向けた時、遠慮がちなノックの音と共に顔を覗かせたのは、俺が唯一出入りを許しているマネージャー殿で。

「少しね。始まったら起こしてくれる?」
「わかった。あ、これ…」
「サンキュー」

寝転がったままの体勢で答える俺に、「お疲れ様」と声をかけてくれたなるちゃんが、手にしていた紙コップを差し出してくれて。それを受け取るために起き上がった俺が発した言葉に、いつもと変わらない穏やかな笑みで答えてくれた。

「今日は、これで最後だから。時間が早いようだったら、光流くんのところに送っていこうか?もう随分と会ってないんだろう?」

受け取ったコーヒーを飲みながら、一眠りする前の一服だと手にした煙草に火をつけた俺に、やはりどこか遠慮がちにそんな提案を示してくれる。
こんなところも優秀なマネージャーさんだよな。俺が何も言わなくても、今俺が一番望んでいることを察してくれる。

「別に、あいつに会わねえのなんて今更だし。あと何日続いたって、たいして変わりゃしないよ」
「またそんな事言って。ここに皺寄せながら言う台詞じゃないよね」

吸い込んだ紫煙を天井に向かって吐き出しながら、そんな強がりを言ってみたところで、結局はなるちゃんには全てお見通しなのだ。
ピンと俺の眉間を伸ばしてきた指先で弾きながら、くすくすと楽しそうに笑みを零すその顔をジロリと睨んでみたって、それをたいして気に留めた様子もなく。どこまでも見透かしたようなその反応に、いつだって俺は白旗を揚げるしかなくなってしまう。

「何時頃になりそうかな?」
「さあ?それは新くん次第じゃない?」
「ごもっとも……ちゃっちゃと終わんねえかな〜」

煙草を手にしたままで仰向けに倒れ込めば、「危ないだろう」と、本当にまるで弟の世話でもするかのように俺の手から煙草を取り上げたなるちゃんが、ノンフレームの眼鏡の奥の瞳を、少し意地悪そうに細めながら吸殻を灰皿へと押し付けた。
こういった撮影の現場の空気は嫌いじゃない。むしろ、そこに流れる張り詰めた緊張感も、スタッフや共演者、そして監督とのやり合いも俺は好きだ。
それでも、どんなに好きな現場の中でだって、あいつと持てる時間と比べてしまった時、全てが色褪せてしまいそうになる瞬間がある。
そんな事を言えば、「仕事に集中しろ!」とあいつには怒られそうだが。

当然、この俺が仕事の手を抜くなどということは冗談でも考えられない。
なんだかんだと虚勢を張ったところで、俺は今自分のいるこの場所が気に入っている。そこに居続けるためなら、隠れた努力なんていくらでもしてやるさ。
俺は貪欲なんだ。仕事もあいつも、そのどちらをも手放すつもりなど毛頭ない。そのどちらをも変わらずこの手にし続けるためなら、どんな努力だって惜しまないさ。
まあ、この俺が必死に努力しているだなどと、他の連中に感づかれるのは冗談じゃねえし、表向きはあくまでも天才だってな世間の評価を有効に利用はしてやるが。

「光流くんから連絡は?」
「ん〜…?そんなん、もともとロクに入った事ねえし」
「じゃあ、連絡してあげたら?光流くんに会いに行くって言っちゃえば、気合いの入り方だって違うでしょう?」
「何それ」
「なんだかんだ言っても、新くんが光流くんとの約束を破れるとは思えないし」
「なるちゃん……楽しんでるだろ…」
「楽しんでるなんて人聞き悪いな〜」

全く悪びれないその言葉。だけど、表情は明らかに楽しんでいるそれだった。

「さてと、邪魔しないから、少しでも休んで。また起こしにくるから」
「ん、サンキュ」

寝転がったままの俺の腹の上に、部屋の隅に置かれていた毛布を掛けてくれたなるちゃんが、それだけを言うと部屋を出て行ってしまって。
1人部屋に残った俺は、先ほど手にして結局床に放り出していた携帯電話を再び手に取った。

「たまには、そっちから何か言ってきやがれ」

アドレスから引き出したあいつの番号に向かって、聞こえるはずもない悪態を呟く。
俺の仕事柄、それを気遣ってかあいつからの連絡が入ることは少なかった。いつだってあいつは、俺からの連絡を待っている。
俺がメールをすれば、少し遅れても必ず返信はあるし、電話をかければ当然嫌がらずにそれを受ける。そして、会いに行くと伝えれば、必ず嬉しそうに声を弾ませるくせに、それでもメールのひとつだってあいつからという状況は生まれてこない。
それはやはり、あいつなりの気遣いだと、それを理解しながらも、時折感じる苛立ちは誤魔化せなかった。
俺が連絡ひとつ入れなかったら、もしかしたらずるずると会えない日が続くのではないか。そうなった時でも、あいつは連絡をしてこようとはしないのではないか。

あいつは、俺の傍にいると言った。俺の傍にいたいのだと言った。
でもそれは、俺が望んだ時だけだ。結局、あいつの心を手に入れたあの日から、俺が望んだ時以外で、あいつが俺を求めてきた事なんてない。それは、その存在を手に入れたあの日から、結局何一つ変わっちゃいなかった。
あいつの心をこの手にした瞬間、これ以上ない程に満たされたのに。あれからだって、あいつと過ごす時間は、いつだって俺の心は満たされているはずなのに。
それでも感じる苛立ちは嘘じゃなくて。俺が望むのと同じように、いやそれ以上に俺を求めようとはしないあいつに、ムカムカするんだ。
何よりも大切にしたいと、そう思う心の裏で、同時にあいつを手に入れられなかったあの頃抱いていたような、どす黒い感情が腹の中に生まれてくる。
もっと、なりふり構わずに俺を求めてみろと。そうしようとはしないあいつに、そんな言葉を投げつけたくなる。

「冗談じゃねえや」

それでも、もう2度とあんな想いはごめんだった。幼い感情を抑えきれず、ただあいつを傷つけて見せられた涙。
あんな辛い涙は、もう2度と見たくはなかった──…。

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  2008/05/18 inside monopoly コメント(1) TB(0) 記事No(76) ▲TOP
inside monopoly act.2
結局、撮影を終えてスタジオを出たのは、もうそろそろ日付も変わろうかという時間になってからだった。
一応、休憩時間にあいつにメールを入れ、送信後すぐに『わかった。また仕事が終わったら連絡して。』と、それだけの返信がきたけど、それだってもうすでに5時間は経過してしまっている。

「今、車回してくるから」

そう言って駐車場へと向かったなるちゃんを見送り、どうしようかと迷いながら取り出した携帯電話。そこには、当然のようにあいつからの連絡は入ってなくて。それにほんの少しだけ落胆している自分に自嘲が漏れる。
もう日付が変わろうかというこの時間、もしかしたら寝てしまっているかもしれないと思いながらも、仕事が終わったら連絡をしろと言ったのはあいつの方だと、そんな言い訳じみたことを考えながらコールを鳴らした。

『もしもし?お疲れ、仕事終わったのか?』

これで、もし応答がなければ、今夜は寄らずに大人しく自分の部屋に帰ろうかと、珍しく殊勝な事を考えた俺だが、そんな気遣いは無用だったようだ。
電話をかけてすぐ、1回目のコール音が鳴り終わらないうちに聞こえてきたあいつの声に、俺からの連絡を携帯を握り締めながら待ってたのか?なんて、そんな意地の悪い質問をぶつけたくなってしまう。

『新?』

その反応の早さに、思わず心の中で吹き出してしまっていた俺は、聞こえてきたあいつの声に答える事をすっかり忘れてしまっていて。俺からの反応がない事に不安を覚えたのか、おそるおそる名前を呼んでくる声に、とうとう堪えきれず吹き出してしまっていた。

『返事くらいしろよ…』
「なんだよ、待ちきれなかったのか?」
『バッ…カ!そんなんじゃねえよ!』

ニヤリと含み笑いを浮かべながら問いかけた俺に、慌てたように反論してくるあいつがおかしくて。
そんなに焦った声で即答されたって、説得力も何もねえっての。そう思った言葉は、それでも口に出して言うことはしなかった。
あんまりからかい過ぎて、締め出しを食らうのだけはごめんだ。まあ、あいつが俺の事を締め出せるとは思えねえけどさ。

「こんな時間だし、今日はやめとくか」
『え?』
「おまえ、明日も仕事だろ。そろそろ寝るんじゃねえの?」

本当はそんな事考えていないくせに。まるであいつの反応を試すかのようにして言い募る言葉。

『俺は…っ!あ……でも、新が疲れてるなら…うん……』

明らかな落胆を、その声に滲ませているくせに。わかっていたこととは言え、俺からしかけたこととは言え、やはり自分からは望もうとしないこいつに腹が立つ。

「ふ〜ん…別に俺は疲れちゃいねえけど、おまえがそう言うんならやめとくわ。じゃあな」
『あ…っらた!』
「なんだよ」

わざと突き放した口調で言い放ち、すぐにでも電話を切ろうとする雰囲気を匂わせれば、そうなってからようやく、それでもどこか遠慮がちに俺の名前を呼んだあいつの声が聞こえてきて。
遅ぇんだよ!と心の中で愚痴りながらも、殊更何でもない事のように聞き返す。

『来てすぐに寝ていいから……だから……』
「あ〜?はっきり喋れっての。何言ってっか聞こえねえって」
『俺まだ寝ないから……あ、でも、新が疲れてるなら、うちに来てすぐに寝ていいから……』
「だから?」
『来るって言うから、待ってたんだ』
「ふ〜ん」

ようやくその口からでた言葉の羅列に、それでも肝心の一言がまだ出てきてないと、わざと突き放した返事をする。これだけでも、十分すぎるほどにあいつの気持ちは伝わってくるけど、俺が望んでいるのはこんな事じゃない。
いつまでも遠慮がちに、自分の本心を言おうとしないこいつの、上辺だけの言葉や態度じゃないんだ。
こいつの気持ちは伝わってくると言いながら、それでもなりふり構わずに俺の事を求めろだなんて、結局は俺の傲慢に過ぎないのかもしれない。それでも、どうしてもこいつに言わせたかったんだ。

俺の口調にしり込みをしたのか、それ以上の言葉を続けようとしないこいつからは、結局沈黙しか返ってこなくて。
こんな風にして試すような事をしても仕方がないと、それをわかっていながらも割り切れない気持ちが、忘れかけていたどす黒い感情を呼び起こす。
これ以上こいつと話していたら、また自分がひどい言葉をぶつけてしまいそうで。そんな時に決まって脳裏を掠める、こいつの辛そうな泣き顔が俺の思考を麻痺させる。

「じゃあな、切るぞ」
『もう…2週間も会ってない……少しでもいいから会いたいんだ…』

結局、そこにある沈黙に耐えられなくなるのは俺だった。
痺れを切らしたかのように、吐き捨てるように言い募った時、ようやく聞こえてきた小さな声に、それだけで胸に渦巻きだしていたどす黒い塊が、なりを潜め始めた。
我ながら、つくづくおめでたい奴だと思う。こうして、半ば脅すようにして引き出した言葉。それは決して、こいつ自らが進んで口にした言葉ではないのに、それはわかっているのに……。
それでも、たったそれだけで、少なくともこの場の俺の気持ちは治まりを見せ始める。

「最初から、素直にそう言やいいんだ」
『うん…ごめん……』
「今からスタジオ出るから、20分くらいでそっち着く」
『わかった』

ようやくホッとしたかのように、微かにため息を漏らしたこいつの吐息が耳に届き。それに満足しながらも、いまだ胸の奥に燻り続けている不満が解消されたわけではない事には気付いていた。

「新くん、お待たせ」

電話を切り、正面玄関へと出た時、丁度目の前に滑り込んできた車の助手席側の窓が開き、ひょいと顔を覗かせたなるちゃんが後部座席を指し示しながら声をかけてくる。
それに笑って頷きながら、後部座席へと身体を滑り込ませた俺は、そのままシートに凭れるようにしてそっと瞳を閉じた。

「大丈夫?」
「ああ、うん」
「光流くんとこ、行ってもいいのかな?」
「うん、頼むね」
「了解」

たったそれだけのやり取りの中で、俺が疲れていると思い気を利かせてくれたのだろう。それっきり口を閉ざしたなるちゃんが話しかけてくることはなく。
暗く狭い車内には、窓から差し込むネオンの光だけが僅かに届き、カーラジオから流れる深夜放送の音楽だけが静かに響いていた。

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  2008/05/30 inside monopoly コメント(0) TB(0) 記事No(79) ▲TOP
inside monopoly act.3
(R-18)

どこか懐かしさを感じてしまう、カンカンと昇るたびに足音が響く階段を昇り、チカチカと、今にも切れてしまいそうな蛍光灯の灯りに照らされた、アパート2階の廊下に辿り着く。
まだ学生の頃から、親に学費以外の負担をかけたくないと、バイト代で家賃を払いあいつが暮らしてきたボロアパート。就職してまともに稼ぎだって得ているわけだし、いい加減引っ越したらどうだと言った俺に、「なんか愛着湧いちゃって。一応風呂もトイレもあるし、そんな居心地悪くねえもん」とあいつは言った。
引っ越せと言った俺の言葉の裏には、「一緒に住まないか?」という意味をも込めていたのだが、何故かこうして気持ちが通い合った今でも、あいつは頑なにそれを拒み続ける。
こんな薄い壁1枚で隔てられただけの環境では、セックスの時の声だって丸聞こえだぞと、半分の皮肉を込めて言えば、狼狽えたように顔を真っ赤にしたあいつが、それから最中の声を押し殺すようになりやがった。
余計なことを言ったかと、後になって後悔したが、本当のところの不満はそんな事じゃない。
どうして、あいつがそこまで俺と暮らす事を拒むのか。なんとなくわかるその理由だって、俺にしてみれば冗談じゃねえとしか思えないものだった。

階段を昇って、5つ並んだ扉のうち、左手奥から2番目の扉の前に立つ。そして、ほんの3ヶ月前、あいつの全てを手に入れた時に、半ば強引に手に入れた合鍵を取り出した。
これだってそうだ。俺が望んだから、あいつは差し出しただけ。こんなちっぽけな鍵ひとつでさえも、あいつからは「持っていてくれ」と切り出しはしない。
こんな事に拘るなんて、自分でも時々自分が情けなくなるが。それでも、あいつから向けられる視線だけじゃ足りない。いくらあいつが俺へと向ける想いが手に取るようにわかると言っても、それだけじゃ足りない。
形に拘るつもりはないと言いながらも、結局俺が拘っているのはそこなのかもしれないと思う。どんな小さな事であれ、あいつの全てをこの手にしていないと気がすまないんだ。
そんな欲求は、時々どうしようもないくらいに、あいつを壊してしまいたくなるくらいに膨れ上がってくる。

駄目だな──…あいつを手に入れてからというもの、俺は日増しに欲張りになっている。
まだまだ足りないのだと、向けられる愛情を目の前にしながらも、それと比例して乾いていく心を止められない。
こんな事では、いつか本当にあいつを壊してしまうかもしれない。それをわかっていながらも、抑えの効かない感情を持て余している。
あいつの顔を見る前に気持ちを切り替えなければ……と、細く息を吐き出した時、手にしたままの鍵を鍵穴に突っ込んでもいないのに、目の前の扉のドアノブが内側からゆっくりと回され。

「やっぱり…足音はしたのに、全然入ってこないから。お疲れ、どうかしたのか?」
「いや……」

ゆっくりと開かれた扉の向こうから、疑問を浮かべたあいつの顔が覗き。大きく開け放たれたそこに身体を滑り込ませながら曖昧な返事を返した俺に、それでもこいつがそれ以上を問いかけてくる事はなかった。

「飯は?食ったんだろ?」
「ああ…」
「やっぱり疲れてる?ごめん…わがまま言って」

部屋に入るなり、真っ直ぐに向かったリビングの床の上にドカッと座り込み、取り出した煙草を咥えた俺に、伺うようにして向けられる声。
やはり遠慮がちなその言葉に、治まりかけていたはずのイライラが舞い戻ってくる。

「別に。嫌なら来ねえし」
「うん…あ、何か飲むか?コーヒー…ビールの方がいいか」

不機嫌を隠そうとせずに言い放つ俺に、まるで腫れ物に触れるかのようにして掛けてくる声が気に障る。

「いらね〜」

火をつけた煙草の紫煙を深く吸い込み、そして天井に向かって吐き出した俺に、近づいてこようとしないあいつが所在なさげに立ち竦んでいて。視界の端に映った手首を掴み、そのままグイッと引き寄せた。

「あら…っ!?…っふ…んん…っ」

不意をつかれた形で、ドサッと腕の中に倒れ込んできたこいつが上げた、小さな抗議の声を塞ぐようにして少し乱暴に口付ければ、すぐに大人しくなった身体が、それでも緊張を解く事はなくて。
俺に体重をかけないようにと踏ん張るその仕草が、そんな小さな気遣いひとつが、意味なく俺の心を乱す。

「やらせろよ。たまってんだ」

そして寄せた唇で、耳元に息を吹きかけるようにして紡ぎ出した言葉。それに一瞬ビクリと身体を硬直させたこいつが、それでも拒絶する事などなくて。
一瞬感じた逡巡の後、それでもおずおずと首に回された腕が、微かな力を込めて俺を引き寄せた。

「新が疲れてないなら……俺はいいよ──…」

まるで自らを生贄として俺に差し出すかのような、俺の発する言葉のひとつひとつにビクついているように見えるこいつが腹立たしくて。
俺が言うからじゃない。どうして、自分から俺を求めようとはしない!?俺の存在は、一体おまえにとって何なんだ!?そう声を荒げて問いただしたくなる。

「…っつ……ぅ…っんん…」

乱暴な口付けでその唇を塞ぎ、開かれた口腔を余すところなく蹂躙し、噛み付くように仕掛けた愛撫にだって声を押し殺そうとする。
必死に耐えようとする仕草が、何かを飲み込もうとするかのようにきつく噛み締められた唇が、その全てで俺を拒んでいるかのような錯覚に陥り。

「声…聞かせろよ」

こいつが好きだと言った、甘く掠れた声で真っ赤に染まった耳へと囁きかければ、まるで駄々を捏ねる子供のように何度も首を横に振る。
それでも、離すまいと伸ばした手で縋りつくようにして抱きついてくるこいつからは、痛いほどに想いが流れ込んでくるのに。どうしてこんなに遠く感じるのだろう。
何度キスを交わしても足りない。抱きしめても、できた腕の隙間から少しずつ何かが零れ落ちてしまうような、そんな錯覚に捉われ、乾いていく心が全然足りないと訴えかけてくる。

「強情だな……」
「ひ…っ!いぁ…ああぁ…っ!」

どうしても声を上げようとしないこいつを乱れさせたくて、もっと啼かせたくて。まだ慣らしきっていない後孔へと、半ば無理やり欲望を打ちつけた。
穿った熱の存在に、弓なりに反らされ硬直した四肢が跳ね上がり、俺の腕を掴み締める手に痛いくらいの力が込められた。

「バ…ッカ……早すぎ…っる…!ぅあ…っ…あら…っ…動く……なぁ、あ、ああ…」

強引に推し進める行為に抵抗を見せながら、苦痛に歪んだあいつの表情が、俺の中の支配欲を駆り立て。その瞬間立てられた爪の存在が、ギリッと込められた力から与えられる痛みの分だけ、こいつを手に入れられたような気になる。

「っつ──…」
「ご…ごめ……っふ…んんんっ!」

無意識の内に俺を押し返そうとするこいつの手が、触れられた微かな引っかき傷を残す肩に、ピリッとした痛みをもたらし、僅かに顔を顰めた俺に気付いたこいつが、慌てたようにその手を離した。
それでも止めない打ち付けに、行き場を失った手で自らの口を押さえ声を殺す姿が、やけに艶めかしくて。理性を飛ばして乱れる姿も、俺が与える刺激を堪えようとする姿も、こいつの全てが俺の視界から脳髄までを犯していく。

それでも足りない──…足りないんだよ──…。

何度抱いても足りない。今確かにこの腕の中にあるはずの温もりも、それだけじゃ全然足りない。
心も身体も何もかも手に入れたはずなのに、それでもなおこいつの全てを貪りつくそうとする欲求が、後から後から湧き上がり。その内側までも全てを、この手に入れないと気がすまないんだ。

こいつに出会ってからの俺は、留まる場所を見失った狂いそうな独占欲に、思考も心も支配され、それこそこいつとドロドロに溶け合ってしまいたいと、そう渇望するくらいまでに膨れ上がった感情を持て余している。

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  2008/06/14 inside monopoly コメント(0) TB(0) 記事No(82) ▲TOP
inside monopoly act.4
ドサッと、力なくベッドの上に沈みこむこいつの肩が、吐き出される荒い呼吸と共に上下し、そこにそっと唇を寄せればビクリと小さな反応を示す。
それでも、1度では終わらなかった行為に疲れきっている身体は、指の1本だって動かすのが苦痛のようで。身動きひとつしないこいつの隣で、俺は手にした煙草に火をつけた。
それこそ余すところなく貪り、放った欲望の余韻は心地よく俺の心を満たし、こいつと抱き合った後のこの瞬間だけは、その全てを手にしたような満足感に包み込まれる。
一言の言葉を交わすことなく、ただ静寂に包まれるこの時間だけは、余計な感情に振り回される事なく、確かにここに存在するこいつの気配だけに意識が集中する。

咥えた煙草を指で挟み込み、吸い込んだ紫煙を吐き出すべく唇から離した時、不意にベッドの上に投げ出したままだった手に微かに触れてきた温もり。
チラリとその場所に視線を向ければ、まだどこかぼんやりとした眼差しのまま、真っ直ぐに俺の指先を見つめる瞳がそこにはあった。そして、何かを確かめるように、そっとそっと俺の手の甲をなぞるようにして触れてきた指先が、それでもすぐに握り込まれ。

「なんだよ」

この満たされた空間を、包み込まれる静寂を壊さないように、低く静かな声で問いかければ、僅かに肩を揺らしたこいつが小さく首を振り。結局握り込まれてしまった指先は、それ以上俺に触れてこようとはしない。

「明日も仕事なんだろ。早く寝ろよ」
「ん……」

俺の言葉に静かに瞼を閉じるこいつの顔が、月明かりに照らされた薄闇の部屋の中にぼんやりと浮かび上がり、うつ伏せたままの状態で眠りに落ちようとするその顔をしばらく無言のままで見つめていた。
疲れきったかのような表情。それでも、こいつも今この瞬間は満たされているはずだと、そう信じていたいのに。僅かに顰められているようにさえ見える眉間の皺の存在が、また意味のない怒りを駆り立てる。
それでも、今感じる……いや、確かにここにあるのだと自分に言い聞かせるかのような思いを否定したくなくて、俺は結局、いつだって目の前の現実から目を逸らそうとするんだ。
この気持ちが薄れてしまわないうちに、この余韻を壊してしまわないうちに、ちらつき始めた不安を認めてしまわないうちに目を閉じたくて。
見つめていた寝顔から視線を逸らし、手にした煙草をもみ消した俺もまた、こいつの隣に滑り込むようにして身体を横たえた。

微かに耳に届く、こいつの穏やかな寝息が心地よくて。腕の中に抱きしめて眠りたいと、そんな駆り立てられる欲求を抑え込むようにして瞳を閉じる。
訪れた闇の世界で、聞こえてくる静かな息遣いだけがやけにリアルで。疲れているはずの身体が、この余韻を味わったままで眠りにつきたいという望みが、それでもいつまでもこいつの存在を感じていたいという相反する欲求に阻まれ、なかなか望んだ眠りが訪れてくれない。
いつもそうだ。ドロドロに溶け合うほどに抱き合った後は、余計なことなど一切考えたくなどないのに。満たされてもすぐに渇きだす心が、その全てを阻む。
再び訪れ始めた虚無感を感じ始めたとき、不意に胸元へと寄せられた温もり。それが伸ばされたこいつの指先だと理解し、薄く開けた視界に入ったのは、俺の方へと向けようとはしない視線の存在。
その開かれているであろう瞳を、この位置からでは認識することができなかったが、薄暗い視界の中でも、微かに震える睫毛を確認することができて。

「新……」

そして、囁くようにして発された、俺の名を呼ぶこいつの声。
こういう時に俺の名を呼ぶこいつの声は、いつだって静かで。いつだって何かを堪えているかのような、小さな小さな声だから。
その事が余計に俺の中の不安を煽り、忘れかけていたはずの……いや、忘れていたいはずの感情を揺さぶるんだ。
静かに、そっと胸元へと置かれた手から伝わる温もりが、意味なく俺の感情を逆撫でし。
本当は、このままその手を握り締め、ただ感じる存在だけに意識を傾けて眠りたいのに。

「寝るんじゃねえのかよ」
「あ……ごめん、起こした?」
「別に。寝てねえし」

いつだって、こいつのそんな声に耐えられなくなるのは俺の方で。
結局こいつの手を握り返せないままに、口をついて出るのは、こんな突き放したような台詞だけ。
俺のそんな態度が、もしかしたらこいつの中に巣食う不安を煽っているのかもしれないのに。それはわかっているはずなのに、大切にしたいはずのこの存在を、どうして俺は傷つける事しかできないのだろう。

「寝れねえのかよ?まだ足りねえってか」
「バ…ッ!そんなんじゃない!」

放っておけば、どんどん陰に入り込む己の思考が疎ましくて。それを振り払うかのようにして、わざと微かな笑みを浮かべながら、その時になってようやく握り返す事ができた、こいつの手を少し強い力で引いた。
と、完全に油断をしていたのだろう。そんな僅かな力でさえも、されるがままに俺の胸元へと身体を乗り上げる状態になったこいつが、抗議の声をあげ。
月明かりだけの薄闇の中でさえも、はっきりと見て取れるくらい真っ赤に顔を染めたこいつが、ボフッと大げさな音を立てて俺の胸へとその顔を埋めてきた。

「そんなんじゃない……」

そして、もう一度同じ台詞を呟いたこいつが、不意に回してきた腕で俺の身体をぎゅっと抱きしめてきて。

「光流?」

まただ──…
またこいつが、本当は言いたいはずの言葉を飲み込んでしまったかのように感じて。

「言いたい事があんなら、はっきり言えってんだ」

イラッとする気持ちを何とか押さえ込みながら、半ばからかうような口調で言い募った俺を、上げた視線で見つめてきたこいつの表情は、俺が思っていたよりもずっと……穏やかなものだった。

「別に……特別何かを言いたいわけじゃない。ただ……」
「なんだよ」
「笑うなよ?……凄く……せだな…って…」
「は?」

そして、再び真っ赤に染まった顔を俺の胸へと埋めてきたこいつが発した、そのくぐもった声をはっきりと聞き取れなくて。
つい尖った声で聞き返した俺に、ぐりぐりと額を擦り付けてきたこいつが、相変わらず小さいけど、今度ははっきりと聞き取れる強さで言い募ったのは、俺が想像していたのとは真逆の言葉だった。

「新とさ、こうしていられるなんて……本当に3ヶ月前までの俺は、想像もしてなかった…って言うか、できなかったから。だから、凄く幸せだな…って…」

自分が想像していたのとは違う、「幸せ」だと言ったこいつの言葉が正直驚きで。

「そりゃさ、おまえは忙しいし、なかなか会えなかったりもするけど……でもやっぱり……」

それ以上は照れが邪魔をして続けられなかったのか、「黙ってんなよ。何も言われないと、それはそれで恥ずかしいだろ!」などと、顔を上げようとしないままに一人愚痴ったこいつがおかしかった。

「なかなか会えないって……何、おまえ寂しいんだ?」
「うるさいっ!そんなの…っ……当たり前…だろ…っ…」

悪態をつきながらも、それでもこの薄闇が饒舌にしているのか、今夜のこいつはいつにも増して素直すぎて。
相変わらずぐりぐりと額を擦り付けてくるこいつを、今度は俺の方から強く抱きしめ返した。

「バ…ッ!苦し……」
「おまえが悪い。煽ってきたのはそっちだろ?」
「な──…っ!?俺はそんなつもりで言ったんじゃないっっ!」
「だいたい、会えないのが寂しいってんなら──…」

「一緒に暮らせばいいだけじゃねえか」と……。
ジタバタと、抵抗にもならない弱々しい力で暴れるこいつを、更に力を込めながら抱きしめた俺が、言いたくて……でも結局声にする事のないままに飲み込んだ言葉。

「新…?」

不意に黙り込んだ俺を覗き込んできた、こいつの唇を少し強引に塞ぎながら、俺はその言葉を完全に飲み込んだ。
言ったところで、こいつの答えはわかってる。答えがわかっている提案をぶつけてみたところで、ますます苛立ちが募るだけだ。
結局は、こいつが頷かない限り、その苛立ちが消えない事はわかってる。それでも、今だけは──…こいつが幸せだと、そう言って笑った今の時間だけは、何も考えずに抱きしめていたいだなんて。俺の思考も、相当イカレちまってるよな。

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  2008/07/07 inside monopoly コメント(0) TB(0) 記事No(87) ▲TOP
inside monopoly act.5
翌朝、目が覚めたときに、隣にはもうあいつの姿はなくて。
もそもそと起き上がり覗いた、リビングの小さなテーブルの上には、簡単な朝飯と小さな紙切れだけが残されていた。

『おはよう。先に仕事に行くから、朝飯はちゃんと食えよ。』

たったそれだけの、愛想も何もないメモ書き。
確かに、今日の仕事は午後からだとあいつにはそう伝えてあった。
平日の今日、当然だがあいつは、いつも通りの時間に出勤するために朝7時には家を出る。それはもちろんわかっていた。
でもだからって、何も黙って出て行くことはないだろう?
起きて見送るつもりはないが、それにしたって一言声をかけたって罰は当たらないはずだ。
それが、光流の気遣いなのだと、それがわかるから余計に腹立たしい。
いつもいつも、どんな時だって俺の顔色を伺うようなあいつの態度に、寂しさすら感じてしまう。
そう、結局は、どれだけの文句を並べてみたって、どれだけの悪態をあいつについたって、その根本にあるのは寂しさなのだと、さすがに俺だって気付いてる。

まだ学生だった頃は、何の遠慮もなく、あいつだって俺には言いたい放題言ってきてたはずなんだ。
そして、こんな関係を持ってしまった後だって、あいつが俺への想いを自覚するまでは、それは変わらなかったはずなんだ。
確かに俺は、恋人としてのあいつを求めてた。でもだからって、これまで俺達の間にあった関係を壊したいと、それを望んだわけじゃない。
叶うなら、あの頃のように……学生時代にあいつとの間に感じていた、心地のいい空気がずっと変わらずに傍にあって欲しいと、それを望むのは間違っているだろうか。

「俺の……せいか…?」

あいつがあんな風になってしまったのは、きっと……いや違うな。その大きな原因が、他の誰でもない俺にあるという事。
認めるのは悔しい。悔しいけど、それが紛れもない事実だという事は、俺にだってわかっていた。
俺が抑えきれない苛立ちを、あいつにぶつけてしまったから。
俺に抱かれるくせに、その心を絶対に俺に向けようとしないあいつに、自分でも理不尽とわかっていながらも憤りを感じていた。そして、その感情を暴力という形であいつに向けてしまっていたのは俺だ。
でも、あの時の俺は、あいつの本当の気持ちがどこにあるのか、それを知らなかったから。
あいつが、早く俺に気持ちをぶつけてくれていたら、伝えてくれていたらこんな事にはならなかった。

「…って、言い訳か……」

残されていたメモを握り潰し、自嘲を浮かべる。
どんな言い訳を自分の中に並べてみても、結局は気持ちを伝える勇気を持てなかったのは俺だ。
あんな風にしてあいつを蹂躙してしまう前に、もしもちゃんと気持ちを伝えられていたら……。例え、あの頃はまだあいつにそんな気持ちがなかったとしても、それでも伝えられる勇気を……。
でもそれは、自分でも自覚があるほどにプライドの高い俺にとって、越えることのできない壁だった。
どうしてこの俺が?どうして自らおまえが欲しいのだと、そんな情けない事を言わなきゃならないんだ?
俺はいつだって求められ、それに応える立場だったんだ。そんな俺が、どうして自らプライドをかなぐり捨てて縋るような真似をしなきゃならない?
相手にその気がないのなら、その気になるように仕向ければいいだけだ。
たいていの奴は、ほんの少し耳元で甘い言葉を囁けば、すぐにこの手に落ちてきた。
でもあいつは違った……いや、俺があいつにはそれをできなかったんだ。
頭ではわかっているのに。他の奴らと同じようにして、多少時間がかかったとしても、この俺が本気で落とそうと思ったら、そしてそれを行動に移していれば、あいつだってこの手に落ちたさ。

でも、できなかった──…。
あいつには、浮かべなれた甘い笑みだって、囁き慣れた甘いむつ言だって、きっと通用しないと。必ず落ちるなんて、そんな傲慢な事を考えながらも、どこかでその絶対の自信を持てなかった。
それを認めてしまうのは悔しかったが、俺は間違いなくあいつに対してだけは、いつだって本気だったんだ。
それは、まだこの胸にある想いを自覚する前から。友人としてあいつの傍にいた頃から……それこそ何も変わっちゃいない。
他の奴らと同じようにして俺に興味を示さないあいつを、なんとか振り向かせようとして。最初は浮かべていた仮面をつけた笑みだって、あいつは通用しなかった。
そんなあいつの隣が何故か心地よくて、俺はいつしか、あいつの前で仮面をつけることを忘れてしまっていた。

あいつの前でだけは、悪態をつけた。
あいつの前でだけは、他人の文句だって言えた。
それでもあいつは、そんな俺を受け入れてくれた。

別に、人前でいい顔をする事自体に、何か苦痛を感じていたわけでも、それに疲れていたわけでもない。
思春期の頃から華やかな世界に身を置き、自分を作り上げることにストレスを感じるような、そんな繊細な神経は生憎と俺は持ち合わせていなかった。
でも、考えてみれば昔から、自分が心地よい場所を作り出すために、進んで仮面をかぶり続けていた俺は、気付けば心から信頼できる人間という存在を、持てないままに生きてきたんだ。
それにだって、特に不満があったわけじゃない。でも、あいつに会ってしまったから。
あんな、何の取り柄もない平凡な奴に、そこまでの力なんてあるはずない。そう思わなかったわけじゃないのに。
気付いたら俺は、あの光流の平凡さにのめり込んでいた。
そしてすぐに気付いた。あいつの、自然すぎて不自然にすら思える笑顔が、俺から仮面を取り去ってしまったのだと。
だからと言って、仕事に支障をきたすような、あいつ以外の人間の前でまで顔を造れなくなるような事はありえなかったが。
だからこそ、あいつの隣は居心地がよかった。

それを壊してしまったのは……?
わかってる。わかってても、俺にはどうやってあいつを愛していいのかがわからない。
ただ、優しく接していればいいのか?他の奴らにするように、甘い言葉を囁いていればいいのか?
そんな事をしたら、結局あいつまで他の奴らと同じになっちまう。
あいつは特別なのに……他の誰とも違うのに……どうしたら、それをうまく伝えられる?
誰かに本気になった事など、考えてみたら今まで一度としてなかったから。いつだって、望まずとも向こうから近寄ってきてたから。
自分が本気になってしまった時の接し方がわからない。
でも、俺が自分を通そうとすればするほど、あいつとの距離が開いていく。
俺が俺らしくいようとすればするほど、あいつは俺に怯え変わっていく。
これじゃあ同じなんだよ。媚を売るようにして近づいてくる他の奴らと、おまえが同じになっちまうんだよ……光流。

あんな風にして、俺の機嫌を伺って欲しいわけじゃない。
ただあの頃のように、バカな話で盛り上がって、悪態をつく俺に悪態で返してくる……そのままのおまえが俺を好きでいてくれたら、他には何も望んだりしないのに──…。




「新くん、疲れてる?」

お昼少し前に、光流の部屋まで迎えに来てくれたなるちゃんが、車に乗り込んだきり何も話そうとしない俺へと、バックミラー越しに視線を向けてきながら問いかけてくる。

「光流くんに会って、エネルギー補給してきたんじゃないの?」
「搾り取られた」
「言ってくれるね〜。ちゃんと仕事はしてくださいね」

ボソッと返した俺の言葉に、くすくすと笑みを漏らしながら冗談ぽく言ったなるちゃんが、不意に優しい眼差しを向けてきて。

「ねえ、新くん。この映画の仕事が終わったら、少し休みとろうね」
「何、急に?別に俺、疲れてねえよ?」
「うん、まだ当分は無理だけどさ、半年もすれば落ち着くだろうしさ。そしたら、一度休みをとろう。スケジュール調整は俺に任せてよ」

唐突に休みを取ろうだなんて言い出したなるちゃんに、怪訝な声で返すも、その言葉を聞いていなかったとでも言うかのような返事が返される。
そりゃ、確かにここ数年、まともに休みなんて取れた試しがないけど。それでも俺はそれを苦痛に感じた事などなかった。
それは今だって何も変わらなくて。多少疲れを感じるときもあったが、それだってわざわざ休みを取るような状態ではない。
むしろ、まともに休みを取れなかったここ数年に関しては特に、そんな自分の置かれた状況がありがたくさえあったんだ。
詰まりきったスケジュールをこなし、ほんの僅かできた時間で光流をこの腕に抱き……そして疲れ切った身体に訪れてくれる眠りは、何もかもを忘れさせてくれたから。
考える余力なんて残ってたら、きっと俺はあれ以上に……もう本当にあいつをこの手に取り戻せないほどに壊れてしまっていたと思うから。

あいつに対していくら虚勢を張ってみたところで、そんなものは抱いたその瞬間に、片っ端から崩されていく。
どれだけ冷静になれと、そう自分に言い聞かせてみたって、あいつに関してだけは、どうしても冷静になりきれない自分がいたから。
あいつの心を手に入れたはずの今、本当ならそんな事を考える必要だってないはずなのに。
どうしてだろうな……1人気持ちを抱え込んでいたあの頃よりも、もっと取り返しがつかないほどに壊れてしまいそうな……そんな予感がよぎるのは──…。

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  2008/09/12 inside monopoly コメント(0) TB(0) 記事No(95) ▲TOP