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きみがくれた空の色 act.1
これまでの俺の人生を振り返って見てみれば、たいした挫折もなく、どちらかといえば経済的にも環境的にも恵まれた中で生活をしてきていた。

大学を卒業した後、就職氷河期と言われる昨今、全く就職活動の苦労もなく、祖父が経営する会社に入社し、七光りと言われようとなんと言われようと、そんな事は気にも留めずに順調に出世の階段だって昇ってきた。

一応、会社に入ってからは一般の新人と同じように扱われ、いきなり役職に就く事なんてなかったさ。

そして、それなりに実績を上げてきたから、今の取締役部長って役職にだって就けているんだ。誰にとやかく言われる事もないはずだ。

まあそれでも、普通ではあり得ないスピード出世の道のりではあったが。でもそれは俺のせいじゃない。

俺のじいさんが経営してる会社だぞ?俺は会長の孫で社長の息子なのだから、そんなの当たり前だろう?

なんて、がむしゃらに出世を夢見て働いてる奴らに聞かれたら、ボコボコにされそうな事を考えながら、それでも俺にはそんな事は関係ないと、それなりに充実した毎日を過ごしていた。

女にだって不自由した事などなかったし、特定の女を作るのは色々と面倒だなんて、そんな鼻持ちならない事ですら当たり前の事のように考え、不特定多数の女達と過ごした夜は数え切れない。

そんな俺の目下の悩み事と言えば、30歳を越えた3年ほど前から、ほとんど毎日のように親の口から飛び出す『結婚』の2文字くらいか?

俺の上には専務である6歳離れた兄貴がいて、もう結婚して次なる跡取りだっているわけだし、何も跡取り息子でもない俺に対して、そこまで目くじらを立てる事もないだろうに。

しかし社会生活というものは、そう簡単なものではなく。『結婚』の2文字に込められた、社会的立場の確立と信用が付属して付いてくる事くらい、俺だって嫌ってほどわかってるさ。

そして何よりもデカイのは、世間体だな。30をとうに超えたいい大人の男が、結婚の『け』の字もなけりゃあ、婚約者になりうる可能性のある特定の恋人もいないでは、世間体が悪いことこの上ないと、俺の顔を見るたびに零す両親に、いい加減辟易していた。

もちろん、そんな俺に焦れた両親が、持ち込んできた見合いの話は数知れずあるものの、結婚相手は自分でみつけますの一点張りで通し、応じる気などさらさらない。

まあ今の現時点で、一生を添い遂げようと思える女など1人としていないのだから、結婚だなんて考えられるはずもないのだが。

いい加減諦めてくれりゃあいいものを…と、内心零しながらも、幼い頃から優秀な兄に並べと言い聞かされ、それに応えるべくいい子を演じてきた俺は、今日も笑顔の仮面を貼り付ける。




「やっぱり外は寒いわね」

巷で話題のフレンチレストランで、今宵のパートナーとなる女と夕食を済ませ、その店から出た途端身を包む冷たい空気に、わざとらしい甘い声を上げながら俺の腕へとその細い手を絡ませてくる。

「大丈夫かい?ほら、こっちにおいで」

耳元に甘い囁きを贈りながら、女の細い肩をそっと引き寄せれば、それだけでうっとりと艶っぽい視線を投げかけてくる。

女は簡単でいい。こうしてちょっと甘い声で囁きかけ、微笑みを向ければそれだけで、あっさりと身体を開いてくるのだから。

「ねえ京悟(きょうご)さん、次はどこに連れて行ってくれるの?」
「雰囲気のいいバーで飲みなおしというのはどうだろうか」
「もちろんお部屋付きかしら?」

ほら簡単だろう?俺からその誘いをかけなくとも、女の方から言い出してくれるのだから。

誘うように見つめてくるその瞳に、微笑みながらもう1度肩を抱き寄せれば、応えに満足した女の身体がねっとりとした感触を伴ってしなだれかかってくる。
これで一夜限りの契約が成立したというわけだ。

少なくともこの夜までは、俺は今の自分の状況に満足していたし、今の充実した性生活を、結婚などという1人の女に縛られることで失うなんて冗談じゃないと思っていたんだ。

誰か1人に縛られる事などなく、適当に恋愛を楽しむ。しばらくはそんな生活が続くのだろうと思っていた。

そう…この夜までは──…。

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  2007/12/11 きみがくれた空の色 コメント(0) TB(0) 記事No(2) ▲TOP
きみがくれた空の色 act.2
「ふぁ……」

いつもと変わらない週の始まり、いつものように出社し部長室へと篭り、デスクに座った途端大欠伸を噛み殺す俺に、秘書である松永の眼鏡の奥の鋭い眼光が向けられた。

「また寝不足ですか?」

眉に刻まれた深い皺に肩を竦め、またも漏れ出しそうな欠伸を噛み殺す。

「暇だなぁ…松永」
「バカな事を言わないでください。この書類の山が見えないんですか!?まだ専務、社長と回さなければならないんですからね。ここでいつまでも止めておくわけにはいかないんです。わかったらしゃきっとなさって下さい」

たかだか部長クラスで秘書がつくのかと、そんな非難の声が聞こえてきそうだが。
うちの会社はいくつもの部署が点在し、その各部署に部長なる役職は存在する。取締役部長である俺は、その部長連中のトップでようはまとめ役という事だ。だからこうして部屋が与えられることも秘書がつくことも不思議はない。

しかし俺としては、こんな窮屈な部屋に閉じ込められるのではなく、取締役なんて肩書きはいらないから、大勢でワイワイと仕事をしたい……などとは思わないが、この窮屈な部屋に閉じ込められて、書類と睨み合いながら過ごす日々に飽き飽きしていると言えば正しいか。

「松永、適当に判を押しといてくれないか」
「ハイハイ、わかりましたから、早く終わらせましょうね」

俺よりも2歳年上のこの松永は、こんな俺の我がままですらサラリとかわしてしまう切れ者で。こうしてあしらわれる度に、少し面白くないのが正直なところだ。

まあこいつにしてみても、本来なら花形の営業部で実績を上げていたところを、一族の中でもできの悪い俺が取締役などという役職に就くにあたり、そのできすぎる実績の為か、半ば無理やりお守役を押し付けられたというところだろうから、面白くないのかもしれないが。

「今日は午後から部長会議が入っていますので…」
「俺も出なければいけないか?」
「当たり前です。京悟さんが出席されなくてどうするんですか」

呆れたようなその眼差しに、わざとらしい大きなため息をつき、いい加減観念しろという視線に追い立てられるように、ようやく俺は渋々ながらデスクに山積みにされた書類に手を伸ばした。




「息が詰まる……」

昼休みに会社を抜け出し、目の前の公園の一角に敷き詰められた芝生の上で過ごすのが、ここのところの俺の日課になっていた。

それなりに日々は充実している。社会に出てからも、将来を約束された地位や名誉が当然のように目の前にあって、私生活だって女に不自由をした事がなければ、たいした揉め事だって経験してこなかった。
まあそれは、一夜限りの関係だとうまく立ち回り、相手もそれを納得した上での行為だったから成し得た事ではあるのだが。

何度も言うが、俺はこの現状にそれなりに満足はしている。満足はしているのだが……時折感じる虚しさは誤魔化しきれない。あの狭い部屋に閉じ込められたまま、ひたすら書類への押印だけに追われた日は特にそうだ。
俺の許可などたいして必要とはしない書類の山に、形だけの判を押し、他人に組まれたスケジュールをただ淡々と過ごす日々。

流されるままに身を任せていれば、トラブルもなく安定した未来がそこにはあるのだろうさ。でも傍から見れば、何の苦労もなく充実しているこの生活だって、本人の心の中までもを十分に満たしているとは言い切れないではないか。
普段はさほど考えることもない自らの立場も、こうしてぼんやりと過ごす時間を持った途端に、全てが色褪せて見えてきてしまうから不思議だ。

「何も考えずに過ごすというのは、それもそれで退屈なものだな…」

考える事と言えば、その日一夜を過ごす女を、どう落とすかという事くらいだ。なんて、仮にも役職ある立場にいる人間の言う台詞ではないな。
そんな事をぼやきながら苦笑を漏らし、スーツも脱がずに芝生の上に寝転がる。

すっかり冬を思わせる空気の冷たさも、届く陽射しの温かさを前に寒さを感じられない。
とは言え、このままここで眠りこけてしまっては、さすがに風邪を引くかな…などと、のん気な事を考えながらふと頭上に視線を流せば、真上にそびえ立つ会社の自社ビルの存在。
午後一番で会議があると言っていたか…このまま戻りたくはないな…。

そんな事を考えながら改めて視線を向けたその建物が、こんなにものんびりとした時間を過ごす中では、巨大な牢屋さながらに思えて仕方がない。

「あんたさあ、最近よくここにいるよね」

ぼんやりとした視線を送っていた、その視界いっぱいに突然現れた影に、驚き身を起こした俺を避けるように軽く飛びのいたのは、まだまだあどけなさを一杯に残す初めて見る青年だった。いや…まだ少年と呼ぶべきだろうか?

「スーツ姿でこんなとこに寝転がってさ、背中汚れてるよ?」

何がそんなに楽しいのか、クスクスと笑みを零しながら、俺の背中についた芝生を軽い仕草で叩き落としてくれる。

「昼休みの時間なんだろ?飯も食わずにさあ、くたびれたオヤジに見られるよ?」

ありがとうと、一応礼の言葉を口にした俺に、やはりニコニコと笑いながら断りもなく隣に腰を下ろしてくる。
いや、まあ…ここは俺の所有する土地でもあるまいし、彼がどこに座ろうと勝手なのだが。
突然現れて隣に座り込み、手にした袋から調理パンを取り出した彼が、その中のひとつを俺に手渡してくる。思わず受け取ってしまった俺に、満足気な笑顔を浮かべ自らが手にしたパンを頬張り始めた。

「えっと…きみは?」
「俺?俺は日比谷 陽生(ひびや はるき)18歳。そこの花屋の跡取り息子。よろしくねおじさん」
「おじ…っ!?」

俺はオヤジ呼ばわりされるほど年をくってないぞ!と思いはしたものの、18歳の少年を前にそんな反論虚しいだけだと、言葉を飲み込む。
そして、彼が指差した先、この公園とちょうど道路を挟んで真向かいにあるビルの1階部分に、彼が言う花屋が存在していた。

「ここさ、気持ちいいだろ?いつもはさ、ほらあそこ。あそこのベンチが俺の指定席なんだけどね」

あんな場所に花屋などあったのか…と、ぼんやりとその場所を見つめる俺に、なおも言葉を繋げながら再び彼が指差した先。ここから数メートル離れた場所に、一定の間隔を空けて置かれているベンチがあった。

「ここ数日あんたがここに来てさ、いっつも何も食わずにボ〜ッとしてるから、なんとなく気になって見てたんだ。そしたら今日は急に倒れこんじゃうしさ。ちょっとびっくりして声かけちゃった」
「それは…驚かせてすまなかったね」

何で俺が謝らなければならないんだ?と疑問を感じながらも、とりあえずの謝罪の言葉を口にした俺に、気にすんなって〜…などとあっけらかんと言い放ってくれる。

「おじさんさ、昼飯買う金もねえの?あ!わかった!奥さんからもらえる小遣いが少ないんだろう?飲み代を確保する為に、昼飯抜きの侘しい生活?サラリーマンって辛いね〜」

人の事をおじさん呼ばわりした挙句、反論の余地も与えられないほどに矢継ぎ早に繋がれる言葉。

「ほら、ボ〜ッとしてないで食べなよ。心配しなくても、金請求したりしないからさ。可哀相な働くおじさんに、愛の手をってね」

ちょっと待ってくれ。俺はそんなにみすぼらしく見えるってのか?33年間生きてきて、こんな言われ方をしたのは初めてだ!
さすがに憤りを感じて、言葉を遮ろうとした瞬間、今度は口を噤み食べる事に専念し始める。

さっきからことごとく自分のペースを崩されっぱなしの俺は、結局絶句したままその横顔を見つめているしかなかった。
それが、彼との初めての出会い。今後も彼にペースを乱される事になろうとは、当然この時の俺は想像すらしていなかった。

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  2007/12/11 きみがくれた空の色 コメント(0) TB(0) 記事No(3) ▲TOP
きみがくれた空の色 act.3
あの日から、毎日のように彼とあの公園で会い、何故か昼食を共にしていた。
別に約束をしているわけではなかったのだが、俺も彼も同じ時間帯にあの場所にいて、1度会話をかわしてしまったせいか、顔を合わすと彼のほうから近づいてくるのだ。

あの翌日もまた調理パンを恵んでもらい、それからは俺も昼食を持参する事にした。
考えてもみろ、30も超えたいい大人が、15歳も年下の子供に恵んでもらうなど情けない事この上ないじゃないか。

「あんた結婚してなかったんだ。ごめんごめん、俺てっきり」
「俺はそんなに所帯染みてるだろうか?」

手にしたコンビニ弁当を突付きながら、少し落ち込んだ声で隣の彼に問いかければ、相変わらず調理パンを頬張る表情がおかしそうに揺れる。

「気にしてたんだ。違う違う、所帯染みてるとかじゃなくてさ、なんとなく年齢的にそうなのかなって思っただけだよ。俺さ人間観察が好きでさ、結構道ゆく人とかみて想像膨らませちゃうんだ。別に全然知らない人なんだけど、どんな生活してるのかな〜とか」

全く悪びれなくそう言い放つ彼は、とにかくいつも笑っていた。何がそんなに楽しいんだ?と、思わず聞きたくなるほどにキラキラと輝くその笑顔は、最近の自分とは全く縁遠い感覚で。

「それで…きみの想像の中の俺は、嫁から貰う小遣いが少ないが故に昼飯も買えない、くたびれたオヤジだったってわけだ」
「こだわるな〜」

少し拗ねた口調で言い募る俺に、遥かに年下であるはずの彼が、呆れたようなため息を漏らしながらポンポンと宥めるように肩を叩いてくる。

「大丈夫!浅葉さんはくたびれたオヤジになんて見えないって」
「きみが言ったんだろう?」
「いい大人が、いつまでもそんな事にこだわるなよなあ。浅葉さんってさ、パッと見た感じはできるオヤジって感じなのに、こうして話してみると結構可愛いよね」
「かわ……っ!?」

初対面でくたびれたオヤジ扱いしたくせに、今度はできる男…いや、できるオヤジ。挙句の果てには可愛いだと?
彼が俺を形容する言葉はどれも、これまでに1度として言われた事がない言葉ばかりで。
正直な気持ちを言えば、面白いはずなどあるわけがないのに。何故かこの笑顔を前にすると、いつも何ひとつとして文句を言えなくなってしまう。

これまでの自分を振り返ってみれば、そんな暴言ともとれる言葉を吐き出した奴など、当然のように遠ざけ、間違っても自分から近づくような真似などした事がなかったのに。
何故か彼を相手にすると、そんな事はどうでもよくなってしまう。
彼のキラキラとした笑顔を前にすると、失礼極まりないはずのその言葉でさえも、不思議なくらい温かく胸に染み渡り、これまで誰に対しても抱いた事がないような…自分でも掴みきれない感情が湧き上がってくる。

「きみは…不思議な子だね」

気付けばそんな言葉が口をついて出てしまい。
キョトンとした表情で俺を映し出す、その真っ直ぐな瞳に、一瞬で惹き込まれそうになった。

「あ…いや、すまない。俺は何を言っているんだろうね」

誤魔化すように、慌てて彼から視線を逸らし、手元の弁当を突付き始めた俺の耳に、クスクスと小さな笑い声が届き。

「俺から見れば、浅葉さんの方がずっと不思議だけど?きっとエリートさんなんでしょ?なのに、よくこんなガキに毎日付き合ってくれてるよな〜ってね」
「エリート?俺が?」

確かに、一般的にみれば企業トップの血縁であり、それなりの役職に就いている俺のような人種をエリートと呼ぶのかもしれない。
しかし、これまではなんの違和感も疑問もなく受け入れてきたはずの言葉が、彼との時間を共有する中で耳にすると、どうしてこうも色褪せて聞こえるのだろう。

「俺は……今まで自分の置かれた環境に、疑問を抱いた事なんてなかったんだが。どうしてだろうな、きみに会ってこうして話をしていると、今まで自分がいた場所が何の意味もないものに思えてくるよ」

ポツリと漏らしたその言葉に、彼が怪訝そうな視線を向けてきて。
そりゃあそうか…俺自身、自分が何を言いたいのかわからないというのに、それを彼に理解しろという方が無理ってものだ。

「きみといるとね、不思議だけど…ここにただこうして座っているだけで、自分という存在を認めてもらえているような気になる」

これまで、目に見える結果だけを求められ続け、形のないものの価値などは無用のものだと教えられてきた。
何千、何万という社員を抱えた企業のトップに立つ祖父を持ち、経営のなんたるかを幼い頃から叩き込まれ、このままでいけば当然のように、将来的には兄と2人であの会社を背負って立たなければならない。

そのトップに君臨する事を、半ば強制的に義務付けられた兄に比べれば、俺の肩に乗せられる重圧などは、とるに足らないものなのかもしれないが、生憎と俺は人様のトップに立つような器ではなかった。
そんな事は、できすぎる兄の背中を見て育った、それこそ幼い頃から感じてきた事だ。
だからこそ、それなりの実績を残しながらも、社会的な己の立場の確立という重責から、のらりくらりと逃げ続けていたのかもしれない。

両親から口すっぱく言われ続けている、結婚の事にしたってそうだ。こんな自分が家庭を持って、果たして仕事と家庭の両立などという器用な事を果たせるのかどうか。
それら全てをうまくやりこしている兄が傍にいるからこそ、俺は自分に自信が持てずにこの年まできてしまったのかもしれない。

要するに、幼い頃からずっと変わらずに俺の中にあるのは、ずっと一番近くで見てきた、尊敬する兄への…尊敬するが故に抱くコンプレックス。
そんな自分を誤魔化すが為に、そんな自分を強く見せるが為に、仕事でそれなりの実績を上げてきたのだとか、女なんて簡単だなどと、そんな鼻持ちならない事を己に言い聞かせ、自分で自分を創り上げてきたのかもしれない。

こうして彼と話していて、花屋の仕事に誇りと自信を持ち、楽しそうに仕事の話をする彼の、自信に満ち溢れキラキラと輝くその表情を見ているだけで心が洗われる気になるのは、自分には持てないものの存在を、彼の中に確かに読み取る事ができるからだ。

目を背け続けながらも、俺が何よりも欲した、情熱と自信と……存在意義。

まだ18歳の少年であるはずの彼は、無駄に人生の時間を進めてきた俺なんかよりも、ずっとずっと己の道を迷うことなく見出しているではないか?

「これからも、こうして俺と会ってくれるだろうか?」

改めてこんな事を言うのも、何だか気恥ずかしいなとは思うものの、気付いたらそんな言葉を投げかけていて。
当然だが、驚きに目を見開いた彼の表情が、次の瞬間にはやはり俺には眩しすぎるくらいのキラキラとした笑顔を浮かべ。

「やっぱ浅葉さんって変わってるね」
「え?」
「だってさ、普通いい大人が、俺みたいなガキ相手にそんな事言わないでしょ」
「すまない…」
「やだな〜別に責めてるわけでもなんでもないんだから、謝ったりしないでよ」

クスクスと笑う彼からは、結局明確な答えは貰えなかったものの、拒絶の言葉を言われなかった事を勝手に了承の意と解釈し、その事に喜びを感じている自分がいた。

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  2007/12/11 きみがくれた空の色 コメント(0) TB(0) 記事No(4) ▲TOP
きみがくれた空の色 act.4
「最近楽しそうですね。特別な相手でもできたんですか?」

いつものようにデスクに向かい、いつものように書類に目を通す俺に、不意に松永が声をかけてきた。

「そう見えるか?」
「ええ、最近は夜遊びも控えられているようですし。何よりも仕事への不満が少なくなられた」

確かに、彼と出会ってからのこの一月ほど、その夜限りの女との営みが、すっかりなりを潜めていた。今更ながらに気付いた事だが、俺が女を相手にしていたのも、どうにも拭いきれない空虚感を、ほんの一時でも忘れたかったからなのだと、そんな事に本当に今更ながらに気付かされたんだ。

それでも埋める事ができなかったはずの心の隙間というものを、彼と会うようになってからは全くと言っていいほど感じる事がなくなり。
ただ彼と会って、お昼のほんの1時間ほどを共に過ごすだけで、自分でも信じられないくらいに満たされた気持ちになれた。

そしてそんな時間の存在は、これまでにないほど仕事への意欲を沸き起こし、日々の生活の中にでさえも潤いをもたらしてくれるような。そんな錯覚にも近い感覚すら抱かされる。
たった1人との何気ない出会いが、こんなにも自分の世界観を変えてくれるとは、一月前までの俺は想像すらしていなかった。

「特別な相手…か」

そこにある感情の意味は、今も掴みきれてはいないが、これまでは女と過ごしてきてそれなりに満たされていたはずの週末の時間が、彼に会えないというそれだけで、俺にとっては最も空虚に溢れた時間になっていたんだ。




松永の言葉がきっかけだったのかどうか、それ自体は定かではないが、彼の存在というものが自分の中で想像以上に大きなものになっているのだと思い知らされ。
そうなると、彼に会えない週末になると途端に、どうしようもなく会いたくなってしまう。
家族以外の人間関係においては、それほどの我慢を強いられた事のなかった俺は、そんな己の中に生まれた感情をコントロールできずに、その週末初めて、彼に会う為だけに行動を起こしていた。

自宅から車で20分ほどの会社に出向き、当然休日の今日、それでも数台の車が停まる地下駐車場へと乗り入れる。
そこに車を置き去りに俺が向かった先。いつもの公園と、ちょうど道路を挟んで真向かいに立つビルの1階にある、彼の家族が営む小さな花屋。
少し離れた場所から覗いた店内に、淡いグリーンのエプロンを着け忙しく動き回る姿を見つけ、自然と笑みが零れだした。

彼が俺に気付く事など当然なくて。こそこそと覗いているなんて、ストーカーみたいじゃないか…と、自分の変質者っぷりに自嘲が漏れる。
特に花屋などには用はないが、彼の傍に行きたいと、ただそれだけの理由で今まで自分で買い求めた事などない花を買ってみようかという気持ちになる。

俺が突然訪ねたら、やはり彼は驚くだろうか。その驚きに見開かれるであろう、瞳と表情を想像するだけで、胸に温かな風が吹き心を包み込んでくれる。
と、店に近づきかけた俺の足は、次の瞬間その動きを完全に止めていた。

俺の視界に飛び込んできたのは、もちろん俺に向けられたものではない、彼のキラキラと輝く笑顔。その笑顔が、店頭に立つ俺以外の人物に向けられたものなのだと理解した途端、内側から信じられないくらいにどす黒い感情が沸き起こる。
なんとも形容し難いその感情は、これまでに感じた事がないくらいに、苦々しく胸を締め付け。どうしようもない怒りの感情が突き上げてくる。

この謎めいた、意味もないくせに胸を締め付けられるような奇妙な感情に、なぜこんなにも心をかき乱されるのだろう。

「あ…浅葉さん…!?」

そして、彼の驚きに見開かれた瞳を目の前にした時、俺は店へと足を踏み入れ彼の腕を鷲掴んでいた事に初めて気がついたんだ。
俺の行動に驚いたのは、何も彼だけではないようで。彼が応対していた、おそらくは20代半ばであろうと思われる女性も、店内にいたスタッフと思われる2人の女性も、そこにいる全ての人物の視線が痛いくらいに俺に集められていた。

「どうしたの?あんたが店に来るなんて珍しいじゃん。それに、今日って休みの日じゃないの?」

すぐにいつもの笑顔を浮かべた彼が、何故か何もかもを見透かしているような気がして、そんなはずはないと思いながらも、どうにもバツが悪く慌てて掴んだ腕を解く。

「俺に何か用事?だったら少し待っててよ。今接客中なんだ」

いつもと変わらない笑顔を浮かべながらも、何故かひどく不機嫌にも思える彼の口調に、一瞬怯んだ俺は大人しくそれに従い、このまま店内にいるのも気まずくてそっと戸口を出た。


ただ立って待っているだけというのもなにやら居心地が悪くて、コートのポケットに突っ込んでいたタバコを取り出し火を付ける。別にそれ自体は悪い事をしているわけではないはずなのに、ジッポライターの立てるカチッというその物音ですら、やたらと大きく響いている気がして。

「何を緊張しているんだ俺は…」

自嘲を漏らしながら、ふぅ〜っと吐き出した白い煙が、ゆっくりと揺らめきながら天へと昇り。それを追うようにして見上げた空の青さに、自然と笑みが零れだす。
そういえば、こうして空を見上げる事も多くなったか。

彼は、俺と過ごす時間の中で、何度となく空を見上げては、真っ青な空に浮かぶ真っ白な雲が好きなのだと言った。
青空が好きだと言うのは耳にした事があっても、雲が好きだなんて、そうそう聞かないものだから、どうして雲なんだって聞いた俺に、やはり彼はキラキラと輝く笑顔でこう言ったんだ。

『形を変えるものって好きなんだ。そこからいろいろな想像の世界を広げられるだろ?これって決まった枠の中にはめ込まれてるわけじゃなくてさ、こ〜んなにも広い空の中、雲は自在にその形を変える。これが本当の自由なんだな〜…ってさ、そんな事を考えちゃうわけよ』

彼のその言葉に、今俺が実際に身を置く世界とは、まるで正反対に位置する世界を思い描かされ。改めて自分がいる場所の窮屈さを思い知らされた気分だった。
そして、彼のそんな言葉を聞かされたその日から、俺もつられるようにして空を見上げる事が多くなった。自分には叶わない自由の存在を、必死に伸ばした手で掴み取りたいと…そんな思いがあったのかもしれない。

「ポイ捨て禁止!ってか、人の店の前にそんなもん捨ててんなっての」

そんな事を考えながら、短くなったタバコを地面へと投げ捨てた時、ムスッとした不機嫌な声が耳に届き。
今まさに踏みつけようとしていた吸殻を、慌てて拾い上げる。
と、声同様不機嫌を露わにした表情の彼が、俺の手から吸殻を奪い取り、店の戸口付近に設置されてあった灰皿へと放り込んだ。
そこから微かに聞こえた、水に触れジュッ…と音を立て消えた火種の音。

「外で吸うなら、灰皿の位置くらい確認しろよな。だいたい、携帯灰皿も持ってないの?喫煙者の最低限のマナーだろ」
「あ、ああ…申し訳ない」

やはり不機嫌に言い放つ彼に、その怒りの意味するところがわからず、ただオロオロとする俺を、今度はどこか笑みを含んだ瞳が見据えてきて。
今の今まで怒っているかと思ったら、次の瞬間には笑みを浮かべる彼の表情に惹き込まれ、バカみたいに見つめてしまっていた自分に気がつき、やはり胸に湧き上がる形容し難い感情に慌てて視線を逸らした。

「で?何の用?」
「いや…花を買おうと…」
「休みの日に、わざわざここまで買いに来たの?それとも、誰かに贈るための花を、途中立ち寄って買いにでも来た?」

そう問いかけながらも、その言葉の端々には、やはり何もかもを見透かすような意味が浮かび上がっているような気がして。

「あ、ああ…そうだね。人に贈りたいから……」
「嘘つき」

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  2007/12/11 きみがくれた空の色 コメント(0) TB(0) 記事No(5) ▲TOP
きみがくれた空の色 act.5
「え?」
「何で俺に会いに来たって、本当の事言わないの?」

ドキン…と、心臓が跳ねた。

「だいたいさあ、俺がお客さんと話してるだけで嫉妬するなんて、ホント浅葉さんって大人げないよね」
「嫉妬……?」

思ってもみなかった彼の突っ込みに、一瞬何を言われているのかわからず、呆然とする俺に、呆れたようなため息を漏らし。

「まさか、自覚ないとか言わないでよ?」
「自覚って…きみが言いたい事がよくわからないんだが」
「本気で言ってんの!?あんたいくつだよ」

今の話に、俺の年など関係ないじゃないか。
と、そんな気持ちを読み取ったのか、彼の眉間に深い皺が刻まれ。

「あ──っ、もうっ!こっち来て!」
「え?一体どこに…」
「こんなとこで話す事じゃないだろ!?いいからこっち!」

急に声を荒げる彼に、やはり俺は何かまずい事をしてしまったのだろうかと、問いただす暇も与えられず、腕を掴まれ引きずられるようにして連れてこられたのは、ちょうど店の裏口にあたる扉の前だった。

ビルとビルの間に挟まれたその場所は、当然だが人目も感じられず。休日のオフィス街という事も手伝ってか、すぐそこに見える通りにも、人影が見られない。
内緒話をするにはうってつけの場所かもしれないが、生憎と俺には彼と内緒話をするような事柄は持ち合わせていない。

「何か俺に話しでも?」
「何かって…俺に話しがあんのはあんたの方でしょ?」
「いや…俺の方にはこれといって…。ただ俺は、休みで家にいても暇だから、きみは何をしているのかと思って」

彼が働く花屋は、オフィス街に建っているせいか休日はあまり売り上げを見込めない為、日曜日は定休日だがそれでも土曜日は営業しているのだと、以前そう聞いた事があった。
だから、何をしているもなにも、土曜日の今日、彼が店に出て働いている事などわかりきった事だったのだが。だからこそ俺は店を訪ねたわけだし。

「やっぱり俺に会いに来たんじゃないか」
「え?ああ…確かにそうだな」
「で?」
「で…って?」

「俺に何の用で会いに来たのかって、さっきから何回もそれを聞いてんだろ?まさか本当に誰かに贈る為の花を俺に見繕えって、そんな用事?」
「いや…それは思わず言ってしまっただけで」

ただきみに会いに来ただけなのだと、正直にそれを言ってしまう事がひどく躊躇われた。
今更かもしれないが、ただそれだけの為に訪れただなんて、何だか特別っぽいじゃないか。

「特別……?」
「は?何それ?」

その時になってようやく、昨日松永に言われた台詞が脳裏を掠め。直後に自分が呟いた言葉の裏で、思い浮かべていたのが彼の姿だったということに、今更ながら気がついた。
そして呆然と呟く俺を覗き込んできた彼を、真っ直ぐに見つめる事などできなくて。

「すまない…やっぱり帰るよ」
「え?え、え、え?ちょっと待てよ、浅葉さん!?」

突然そんな事を言い出した俺を、訳がわからないままに引きとめ腕を掴んでくる。

「忙しい時に申し訳なかったね。もう仕事の邪魔はしないから」
「別に忙しくないし。あんたも見ただろ?土曜日はほとんど開店休業状態なんだよ。だから、いくらでも話す時間はある」

あんまり歓迎できる事じゃないけどね、と笑う彼の笑顔に、今までに感じた事がないくらいに胸が高鳴り。

なんだ?なんだなんだ?急にこんな…俺は一体どうしたっていうんだ?

自分で自分がわからなくなり、思考を埋め尽くす戸惑いの大きな影に、この時の俺は内心かなりの比率でパニック状態に陥っていたと言っても過言ではない。
そして、そんな状態の俺がとった行動といえば、やはり掴まれた腕を振り解こうとする以外にはなくて。

「ここで逃げたら、もう2度とあんたには会わないから」

この言葉に、今度は思考から身体の機能から…全てが完全に停止してしまった。

彼に会えなくなるという事は、またあの空虚に満ちた日々が戻ってくると、そういう事だろうか?
そして、その生まれた隙間を埋める為に、名前も知らない顔もロクに記憶に残らないような女達と、快楽を得るためだけに一夜限りの関係を持つ事を繰り返していた日々が戻ってくると、そういう事だろうか?

ほんの一月ほど前までは、たいした疑問を感じる事もなく、当たり前だったそんな過ごし方を、今の俺は思い出すことができなかった。
いや──…思い出したくもなかった。

「それは……困るな」
「何で?」
「何でって…」
「あ──っ、もう!はっきりしない人だな!」

俺の態度が彼をイラつかせ、次第に不機嫌に拍車がかかる彼を前に、オロオロと焦りだす思考は、そこに含まれた意味を考える余裕などなくしてしまっていて。
だから、次の瞬間その唇から紡ぎだされた言葉を、本当に唖然とした気持ちで聞いていたんだ。

「休みの日にわざわざ、用もないのに俺に会いに来たんでしょ?俺に会いたかったから、ここに来たんでしょ?俺が2度と会わないって言った事がショックだったんでしょ?それってさ、好きだって言ってるようなもんじゃん」

「好き──…?俺がきみを?」
「そうだよ!あんたは俺の事が好きなの!」
「いや…まあ確かにきみの事は、好感が持てる青年だとは思っているが。その…きみが言う好きっていうのは、恋愛感情を取り入れた感情だと、そういう事だろうか?」

まさか!そんなはずがないだろう?
俺は男で、彼も男なんだぞ?そこにいくら好意の感情があるからといって、恋愛感情になど成りえるはずがないではないか。

「俺には、きみが男性に見えるんだが。きみには俺が女に見えるとでも?」
「……へ?あんた何言ってんの?こんなゴツイ奴、女に見えるわけないだろう?俺だって間違いなく男だ!」

一気に捲くし立てた彼が、今度は深い深いため息を吐き出して。

「ねえ、あんた今まで誰かを好きになった事がないの?30過ぎてんでしょ?今まで一体どんな恋愛してきたってのさ」

これにはさすがに閉口してしまった。
彼が言うように、俺は30を超えたいい大人の男だぞ。恋愛経験が全くないはずなどないではないか。
さすがにそこまでバカにされて、黙っていられるほど、俺はプライドのない人間じゃない。

「抱いた女の数なら、もうわからないよ。それに、それなりに付き合った女だっている。きみは一体俺を何だと思っているんだ?」
「抱いた女の数って……それを今、このタイミングで俺に言うかなあ。ありえない!どんな神経してんの?」

「きみがおかしな事を言うからだろう」
「どっちがだよ。自分が何言ってるか…それがどれだけ俺の事傷付けてるかわかって言ってんの?」

辛そうに歪んだその表情に一瞬息を飲んだ俺へと、その細くしなやかな指先が伸びてきて。
不意に胸元へと触れてきた感触に、ビクリと身を震わせ後ずさった俺を、思わず見とれずにはいられないほどの穏やかな笑みが包み込む。
と、そのまま首筋へと回された手の温もりに、全身を甘い痺れが駆け抜けた。

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  2007/12/11 きみがくれた空の色 コメント(0) TB(0) 記事No(6) ▲TOP
きみがくれた空の色 act.6(最終話)
「女を抱いた数と、ときめきが比例するわけじゃない事くらい、あんたもわかってんでしょ。どれだけの女をこの腕で抱いてきたのかなんて知らないし、そんなの聞きたくもないけどさ……あんたが本気で人を愛した事がないんだって、それは俺が保証してあげる」

何故?俺ではない赤の他人の彼が、そんな事を保証できるんだ?
あまりにもはっきりと言い切られたその言葉に、やはり失礼な奴だと思うのに、不思議なくらい不快感など感じられなくて。

「だってさ、あんた今すっげえドキドキしてんの…自分でわかってる?」
「何…を…」
「俺とこうして触れ合って、ありえないくらい心臓ドキドキしてんじゃん」

それはさすがに気付いていた。
彼の体温が触れたその場所から、徐々に全身が心臓になってしまったのではないかという錯覚を起こしそうなくらい、己の胸がたてる鼓動の存在が耳に煩くて仕方がないんだ。

これが、誰かを愛しいと…そう想う感情だというのか──…?

この世に生を受けて33年。こんなにも苦しいくらい、胸を締め付けられる感情に全てを支配されるのは初めてだ。
こんな感覚、俺は知らない。

「まだわかんない?」
「………」
「だったら、教えてあげる。キス…してよ」

「え……?」
「キス。やり方がわかんないなんて言わないだろ?俺にキスしてみて。そしたらきっと、ここにある感情の意味がわかるから」

首筋へと回されていた手が不意に解かれ、そのまま細い指先がなぞるように俺の胸元へと這わされる。
そんな一見なんでもないはずの指の動きが、これまたおかしいくらいに俺の中の何かを掻きたて、それが心の奥深くに潜む欲望なのだと気付いた時、自然に呪文のような言葉を繰り返す唇を求めていた。

「……っん…」

そっとそっと触れた唇は、甘い花の香りに包まれるような、そんな脳髄から溶かしだされるような錯覚を呼び覚まし。
触れるだけでは足りない。もっと──…彼の奥まで侵し貪りつくしたいと。
少しずつ牙を向き始めた雄の本能が、耳元を掠める喘ぎににも似た吐息に触れ、完全に行き場を見失ってしまっていた。

「…っふ…ぁ…」

口付けの合間に漏れ出す吐息でさえも、一滴だって取り零したくなくて。
こんなにもキスだけで興奮した事など、かつてあっただろうか。
こんなにも、何もかもを飲み込むほどの激情に突き上げられる口付けを、これまでに交わした事があっただろうか。

どれほどの時間そうしていたのだろう。
お互いの唾液が混ざり合い、喉を鳴らし溜飲できない液体が彼の白く細い喉元を濡らし、微かな力で胸元を押し戻される感覚に、ようやく我に返った俺は貪り続けた彼の唇を解放した。

「信じ…らんな…っ…」

はぁはぁ…と乱れた吐息を紡ぎだす濡れた唇が、憎々しげに言葉を繋げ。
睨みつけてくる潤んだ瞳が、抑え切れない欲望の渦を巻き起こす。

「ちょ…ちょっ…!待てよ!」

再びその腰を抱き寄せ口付けようとした俺の唇を、甘い香りを纏った指先が塞ぎ。

「いきなりこんなキス…反則だ」
「きみがしろと言ったんだろう?」
「そう…だけどっ!誰もこんなドギツイのをしろとは言ってない!」

潤んだ瞳で睨まれても、その上気しきった表情では、余計に俺を煽るだけなのに。
そう──…俺は、こんなキスひとつで、間違いなく彼に対して欲望を感じていた。

「俺は…本気できみの事が好きなんだろうか」
「はぁぁあああ!?この期に及んで、まだそんな事言ってんの?いい加減ぶっ飛ばすよ!?」

それは勘弁して欲しいなと、苦笑を漏らした俺に、不意にぶつかるような不器用なキスを仕掛けてきて。

「いいよ、こうなったら意地でもはっきり自覚させてやるから」

俺の胸へと顔を埋めながら吐き出された、とても可愛いとは思えない台詞。

「あんたが、本当はどうしようもないくらい俺にメロメロなんだって、絶対に自覚させてやる」
「すごい自信だな…だいたい、さっきから俺の事をボロクソに言ってくれるが、きみはどうなんだ?きみは…俺の事が好きなのか?」

こんなキスを受け入れといて、今更好きではありませんなんて言われても納得できるはずがないし、何よりもそんな事実は受け入れたくはないぞ?

「言わない」
「言わないって…」
「あんたが俺の事好きだって、ちゃんとそれを自覚して、ちゃんとした告白をしてくるまでは、絶対に言わない」

そんな捻くれた台詞を吐きながらも、ぎゅっとしがみ付いてくる腕の力は、まるで俺の事を好きなのだと言ってくれているように思えて。
それにまた広がる温もりに、思わず緩んでしまう頬を引き締める事が叶わないまま、与えられた温もりごと全部、そっとそっと包み込むように抱き締めた。

「きみが自覚させてくれるんだろう?」
「甘えるなよ!自分で努力しろってんだ!」
「だったら…もう1度キスしてもいいかな?」

「……っな!!冗談じゃない!あんなキス何度もされたら、こっちの身がもたないよ!」
「それは…気持ちいいと思ってもらえたって事かな?」

クスクスと笑みを零す俺に、ますます顔を真っ赤に染めた彼が、ドンドンと回した拳で背中を何度も叩きつけてきて。
そんな行動ひとつを、可愛くて仕方がないと思ってしまっている自分に気付いた。

「俺に早く自覚させたいんだろう?どうやら俺は、いくら頭で考えてもなかなかわからない…身体で確かめるタイプのようだ。だから、許しを得られると嬉しいんだが」
「自覚させたいって…それじゃあ、俺の方があんたに惚れてるみたいじゃんか」

「違うのか?」
「───…っ!!!最っ低!あんたみたいのを、無駄に経験だけ重ねてきた大人子供って言うんだ!」
「初めて聞く言葉だな。覚えておくよ」

フッと笑みを漏らし、囁きながら仕掛けるキス。
あれだけ文句を並べながらも、重ね合わせた唇に抵抗など少しも感じられなくて。
それでも、ここで足腰立たなくしてしまい、この後の仕事に差し支えるようでは、後でまた何を言われるかわかったものではない。

角度を変えながら、触れ合うだけのキスを何度も繰り返し、そうして解放したその瞳に浮かべられた、明らかな不満の色に思わず小さく吹き出した。

「何笑ってんのさ」
「いや…満足させられなかったみたいだなと思って」
「誰もそんな事…っ!」
「そんな顔をさせたままでは申し訳ないからね」

こんな俺の台詞に、文句を並べようとしたのか、僅かに開かれたその唇が何か音を紡ぎだすより少し早く、そっとそっと塞いだその場所は、やはり甘い香りに満たされていて。
飽きることなく口付けを繰り返す。そんな慣れたはずの行為で、あり得ないくらいに高鳴るこの胸は、どうやら完全に彼に囚われてしまったらしい。

<<fin.>> 目次はTOPページ(←クリックでページジャンプ)にございますm(__)m


これより下は、あとがきコメントになっております。↓


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  2007/12/11 きみがくれた空の色 コメント(2) TB(0) 記事No(7) ▲TOP